子どもにお手伝いを
- 2013/12/08
- 00:50
最近記事を書くヒマがないので、とりあえず--
お母さんやお父さんが子どもにお手伝いをさせると、世界から苛め(虐め)がなくせる。
全部無くなるかはまだやっていないので不明だけれど、少なくとも弱いもの虐めを減らせるだろう。
子ども達は、一般的な発達として、
3歳くらいになると、親しい家族を手伝おうとする
その時に、ムリのない程度に手伝いをさせ、褒めてあげると、
その子の脳はドーパミンを出し、免疫力が上がり、それを記憶し、さらに進化しようという意欲に変わる
褒められることで、セルフイメージも上がる
もし、この時に過保護にして手伝わせないとか、失敗したら叱って終わりにするとかすると、
子どもはやる気を失う
「いいのいいの、お母さん(お父さん)がやるから」
「あなたがやると、かえって面倒になるから」
「なにやってるの、だからやらなくていいわよ」など、
危険なことなら止めるのも道理だが、そこまでで子どものやる気を削いで終わりにしてしまわないでほしい。
やる気をそがれた子どもは、そのあとの人生が面倒くさくなるともいえる。
叱られてそのまま、というのは、免疫力が下がった状態。エネルギーも低くなっているから、やる気に繋がらないし、病気にもなりやすいからだ。
セルフイメージは下がるので、落ち込みやすく、本人がやる気を出しても持続しにくくて、生きにくい
社会に出ても、セルフイメージが低いと実力が出せないし、良い人間関係も築きにくくなる
というのも、自分に自信がないから、強い立場の他人の言うなりになってしまいやすいのだ
また、自信が無いと、自己主張しながらも互いに理解しあう、という人間関係が築けないから
最初は不慣れで上手くできなくても、お手伝いをしているうちに、子どもの能力は上がって行く
あれもできる、これもできた、これも褒められた…という子どもは、エネルギーが高くて自己評価も高くなり、多少注意されても回復できる
学校で、新しい課題を出されても、「自分は今までいろいろできた。だから、これもできるかもしれない。やってみよう」となる可能性が高い。
一方で、「あれもできない」「これもやったことがない」「やっても怒られた」という体験ばかりの子どもは、学校で新しいことを提示されたら、「やってみたいけど…でも怒られたら嫌だな」とか「またできないかもしれない」と消極的になりやすく、やりたいことに挑戦しにくくなり、自信を失った状態となる。
良い教師が「○○ちゃんならできるかもしれないよ」と可能性を引き出せれば良いが、余裕のない場合「消極的で面倒くさい子だな」などと評価されかねない。
昭和の時代は、競争意識の高かった環境もあり、-叱られても「なにくそ!」と頑張る子ども-という姿が多く見られたと思うが。今は、頑張っても結果が見えていたりするので、「負けん気」自体が無意味になりつつある。
自信を失っている子は、エネルギーと免疫力が下がっているわけだから、ストレスにやられていて、気分を害しやすい。時に、攻撃的である。
子どもの資質に関係なく、生理機能として、自信を失ったらノルアドレナリンが出るので、免疫力が下がってしまうのだ。
エネルギーとセルフイメージの高い子どもと、エネルギーとセルフイメージの低い子どもが集められるのが、学校ともいえる(これは、大人にも言えることだが、子どもの世界は社会の縮図なので)
子ども達のうち、エネルギーの高い子たちは、誰かからエネルギーを奪う必要はないので、あまり争わない。自分を高めることに専念する。
問題が起こるとすれば、エネルギーの下がっている子たちの中で、エネルギーの奪い合いが起こり、一番弱い子か優しい子が犠牲になっているように思う
優しい子というのは、繊細で、なんとなく皆がエネルギーを奪い合っていることを感じ、自分が犠牲になって相手に捧げようとしてしまう(それが全てだと断言するわけではないが、そういうケースは多い)
エネルギーを奪われても、奪い返せないと、不登校になり、引きこもりやすい。
だから、もとにかえって--
親がお手伝いをさせてあげて、できるところを褒めてあげて、免疫力を上げ、子どもの能力をアップさせてあげることは重要だといえる。
褒めるために、ますは、できることだけさせてみるのもいいかもしれない。
子どもが頑張ったのに、結果が出なかったからと叱って終わりにしてしまったら、脳に「やってもムダだった」という学習がなされてしまうから。
「よくがんばったね」と伝え、本人の満足度や「工夫したいことはある?」と訊くのもありだし、「今度はこういう工夫をしてみたら?」と提案するのも有り。
そんなことで苛めがなくなるのか?と言うかもしれないが、
「自分は不要な存在で、認めてもらえない、ダメなやつだ」と思い続ける人々だらけの世界と、
「褒めて、認めてくれる人がいる。何かもっとできるかもしれない」と思う人々の世界の違い。
例えば、教師が苛めに走りそうな子に気づいたら、手伝いをさせて褒めてやって、「人に認められる」というセルフイメージを作ってあげられれば良い、ということでもある。
表面的なことは、十人十色で複雑なように見えても、脳の作りは単純だから。
まず、身近な人を救ってあげることができると思う。
本当は、子育ての現場で、親が子どものお手伝いを見守れるように、余裕がないとならない。
親に「こうしろ、ああしろ」と責め立てたいのではない。
生活費を稼ぐのに忙しくて、子どもの支援に時間がとれない家庭もあるし、親のインナーチャイルドにトラウマがあって、先にそれを癒さねばならないこともあるので。
政策で、もっと時間や心のゆとりを取れるようにすべきなのだが。脳のしくみまで学んで政治をする人がいないので(脳のしくみを、万人の幸せのために活用する志の高い人がいないようなので)
経済格差を作る政策の中で、気がつく人とできる人にだけでも、とにかくお伝えしておく。
--以上「ヴィーナス女神セミナー」テキストから(2013.5.21)--
「ヴィーナス女神セミナー」では、もっと具体的に詳しい内容をお伝えしています。
この文章は、試し書きなので、あとで「ヴィーナス女神セミナー・テキスト」に書き直しする予定です。
やっぱり、長文を書くと指がバネ指になってしまう〜
お母さんやお父さんが子どもにお手伝いをさせると、世界から苛め(虐め)がなくせる。
全部無くなるかはまだやっていないので不明だけれど、少なくとも弱いもの虐めを減らせるだろう。
子ども達は、一般的な発達として、
3歳くらいになると、親しい家族を手伝おうとする
その時に、ムリのない程度に手伝いをさせ、褒めてあげると、
その子の脳はドーパミンを出し、免疫力が上がり、それを記憶し、さらに進化しようという意欲に変わる
褒められることで、セルフイメージも上がる
もし、この時に過保護にして手伝わせないとか、失敗したら叱って終わりにするとかすると、
子どもはやる気を失う
「いいのいいの、お母さん(お父さん)がやるから」
「あなたがやると、かえって面倒になるから」
「なにやってるの、だからやらなくていいわよ」など、
危険なことなら止めるのも道理だが、そこまでで子どものやる気を削いで終わりにしてしまわないでほしい。
やる気をそがれた子どもは、そのあとの人生が面倒くさくなるともいえる。
叱られてそのまま、というのは、免疫力が下がった状態。エネルギーも低くなっているから、やる気に繋がらないし、病気にもなりやすいからだ。
セルフイメージは下がるので、落ち込みやすく、本人がやる気を出しても持続しにくくて、生きにくい
社会に出ても、セルフイメージが低いと実力が出せないし、良い人間関係も築きにくくなる
というのも、自分に自信がないから、強い立場の他人の言うなりになってしまいやすいのだ
また、自信が無いと、自己主張しながらも互いに理解しあう、という人間関係が築けないから
最初は不慣れで上手くできなくても、お手伝いをしているうちに、子どもの能力は上がって行く
あれもできる、これもできた、これも褒められた…という子どもは、エネルギーが高くて自己評価も高くなり、多少注意されても回復できる
学校で、新しい課題を出されても、「自分は今までいろいろできた。だから、これもできるかもしれない。やってみよう」となる可能性が高い。
一方で、「あれもできない」「これもやったことがない」「やっても怒られた」という体験ばかりの子どもは、学校で新しいことを提示されたら、「やってみたいけど…でも怒られたら嫌だな」とか「またできないかもしれない」と消極的になりやすく、やりたいことに挑戦しにくくなり、自信を失った状態となる。
良い教師が「○○ちゃんならできるかもしれないよ」と可能性を引き出せれば良いが、余裕のない場合「消極的で面倒くさい子だな」などと評価されかねない。
昭和の時代は、競争意識の高かった環境もあり、-叱られても「なにくそ!」と頑張る子ども-という姿が多く見られたと思うが。今は、頑張っても結果が見えていたりするので、「負けん気」自体が無意味になりつつある。
自信を失っている子は、エネルギーと免疫力が下がっているわけだから、ストレスにやられていて、気分を害しやすい。時に、攻撃的である。
子どもの資質に関係なく、生理機能として、自信を失ったらノルアドレナリンが出るので、免疫力が下がってしまうのだ。
エネルギーとセルフイメージの高い子どもと、エネルギーとセルフイメージの低い子どもが集められるのが、学校ともいえる(これは、大人にも言えることだが、子どもの世界は社会の縮図なので)
子ども達のうち、エネルギーの高い子たちは、誰かからエネルギーを奪う必要はないので、あまり争わない。自分を高めることに専念する。
問題が起こるとすれば、エネルギーの下がっている子たちの中で、エネルギーの奪い合いが起こり、一番弱い子か優しい子が犠牲になっているように思う
優しい子というのは、繊細で、なんとなく皆がエネルギーを奪い合っていることを感じ、自分が犠牲になって相手に捧げようとしてしまう(それが全てだと断言するわけではないが、そういうケースは多い)
エネルギーを奪われても、奪い返せないと、不登校になり、引きこもりやすい。
だから、もとにかえって--
親がお手伝いをさせてあげて、できるところを褒めてあげて、免疫力を上げ、子どもの能力をアップさせてあげることは重要だといえる。
褒めるために、ますは、できることだけさせてみるのもいいかもしれない。
子どもが頑張ったのに、結果が出なかったからと叱って終わりにしてしまったら、脳に「やってもムダだった」という学習がなされてしまうから。
「よくがんばったね」と伝え、本人の満足度や「工夫したいことはある?」と訊くのもありだし、「今度はこういう工夫をしてみたら?」と提案するのも有り。
そんなことで苛めがなくなるのか?と言うかもしれないが、
「自分は不要な存在で、認めてもらえない、ダメなやつだ」と思い続ける人々だらけの世界と、
「褒めて、認めてくれる人がいる。何かもっとできるかもしれない」と思う人々の世界の違い。
例えば、教師が苛めに走りそうな子に気づいたら、手伝いをさせて褒めてやって、「人に認められる」というセルフイメージを作ってあげられれば良い、ということでもある。
表面的なことは、十人十色で複雑なように見えても、脳の作りは単純だから。
まず、身近な人を救ってあげることができると思う。
本当は、子育ての現場で、親が子どものお手伝いを見守れるように、余裕がないとならない。
親に「こうしろ、ああしろ」と責め立てたいのではない。
生活費を稼ぐのに忙しくて、子どもの支援に時間がとれない家庭もあるし、親のインナーチャイルドにトラウマがあって、先にそれを癒さねばならないこともあるので。
政策で、もっと時間や心のゆとりを取れるようにすべきなのだが。脳のしくみまで学んで政治をする人がいないので(脳のしくみを、万人の幸せのために活用する志の高い人がいないようなので)
経済格差を作る政策の中で、気がつく人とできる人にだけでも、とにかくお伝えしておく。
--以上「ヴィーナス女神セミナー」テキストから(2013.5.21)--
「ヴィーナス女神セミナー」では、もっと具体的に詳しい内容をお伝えしています。
この文章は、試し書きなので、あとで「ヴィーナス女神セミナー・テキスト」に書き直しする予定です。
やっぱり、長文を書くと指がバネ指になってしまう〜
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