男性を救うための記事.1
- 2015/01/09
- 19:45
まだタイトルが決まらないので、とりあえず「男性性を救うための記事」として、メモ代わりに書いていきたい。
これは、私のライフワークの一つでもある。
陰と陽のバランスのこと。
エネルギーの男性性と女性性の、バランス良い使い方。調和した、上手い使い方を伝えたい。
便宜上、「男性性」「女性性」という表現を使うけれど、これは、人間の男性にも女性にも備わっているエネルギーのこと。
例えば、男性性の強い男の人を見ると、「あの人は男らしい男性だ」と感じ、
女性性の強い女の人を見ると、「あの人は女らしい女性だ」と感じる。
逆に、女性性の強い男の人を見ると、「あの男性は、ちょっと女っぽいな」と感じ、
男性性の強い女の人を見ると、「彼女は、ちょっと男っぽい」と言われるはずだ。
ここまでは、感覚的な話。
男性性・女性性と言われても、具体的にどんなものなのかを説明しなければ、捉えにくいと思う。
・男性性とは、
外に向かって行くエネルギー。能動的
優劣や序列や差をつける考え方。そういう意味で、縦の流れ。
境界線を引く、他者との違いを明確にする、ナワバリを持つ
ピラミッド型△や、四角□のように角があり、ぶつかると痛い感じ
変化と冒険を好み、安定や退屈を嫌う
現象を、五感で認識する(視覚・聴覚・体感覚・味覚・嗅覚などなど)
右脳と左脳をつなぐ「脳梁(のうりょう)」という部分が、女性よりも狭いので、一度に1つのことしかできないか、1つの事に集中しやすい。
--(あとで、詳細の記事を追加する予定)
・女性性とは、
内面に向かって行くエネルギー。受動的
調和やバランスをとろうとする。横の流れ
境界線をはずし、一体化する力
受け取る立場なので、▽型や、中心から等しい方円の○の感じ
安定を好み、変化を恐れたり嫌う傾向がある
理屈や現象の証明がなくても、感覚で物事を捉えて対処することができる
右脳と左脳をつなぐ「脳梁(のうりょう)」という部分が、男性よりも太いので、一度にいくつものことをこなす。一度にいろいろなものを見たり感じたりするので、注意力が散漫になりやすいとも言える。
また、右脳から左脳に情報を運ぶのが早いので、言語化して「気づいたことを何でも喋る」という傾向があり、感情を言葉にして表現することに長けている。そのぶん、言葉に感情を混ぜて表現しやすい
免疫力を高めるために、自分が好い気分でいることが重要だと本能的に感じているようだ。
男性が変化を好み、女性が安定を好むというのは、一般論で、子育てから来ている感じがするが、
脳の作用からすると、男性は変化に対応しづらく、女性は変化に気づきやすい、と言える。
これは、身体と脳のしくみが違うことで、男女ともバランスをとっているのかもしれない。
これだけの違いがあって
逆方向に向いているのだから、そこだけ見ると、争いのタネになりそうだ
しかし、これはもともと一人の人間の中に(両方とも)存在している。
基本として、男の中に、男性性のエネルギーが強いこと、
女の中に、女性性のエネルギーが強いこと、はホルモンの関係かもしれない。
だから、ホルモン状態や、環境から来る価値観の違いで、
女でも男性性の強い人がいるし、男でも女性性の強い人がいる。
または、女でも女性性の弱い人、男でも男性性の弱い人…がいる、という言い方でも良い。
なぜ、ここで逆の言い方をしてみるかというと、A=BとB=Aが成り立つかどうかを確認している。A=BとB=Aが成り立てば、それはフェアな関係だと判るし、成り立たなければ偏っていることが判るからだ。
男性性のエネルギーと女性性のエネルギーは、どちらもその個体(人間)が、幸せに生活するために、便利に使われるべきものだ。
だから、どちらかを否定したり、悪者にすると、とたんに私達はバランスを崩して、苦しい生き方を余儀なくされる。
しかし、どうやら日本では(世界の他の国もそうかもしれない)、まだまだこのバランスが上手く取れていないようなのだ…
男性性のエネルギーは、外に向かって行く力なので、外交的であり、何かを表現するにしても、言葉や形にしてあらわそうとする傾向がある
よく男性が、理屈や論理を好むのも、言葉で説明して辻褄が合うことを求めるから。
男性性は、周囲の人間関係や、ものごとを捉える時に、序列を作り、「あっちが上、こっちが下」などの捉え方をする。
序列が整っていることが前提で世界を見ているので、その序列が変わった時に、「下克上(げこくじょう)」と呼んで驚いたりする。
境界線は、いわば「動物としてのナワバリ」のことでもある。
国で言うなら「国境」のこと。だから、「領土問題」は男性性の問題でもある。
もともと「ナワバリ」は、人が生き物(動物の一種)として、安全で実り豊かに暮らせるかどうか、生活環境を守る意識だと思う。
過去の地球上では、環境が厳しく、ナワバリを守るのは男性の役割りだった。
というのも、人間の女性は妊娠すると戦いには不利になるため、役割り分担が上手くなされていたのだと思う。
しかし、その立場が長く続くと、
男性性には「どちらかが優位で、どちらかが劣っている」と考える傾向があるため、
能動的に機能する「男」が優位で、受け身で守られている「女」は下位だと思い込んでしまったようだ。
本来、この考え方は間違っているわけで、男性・女性はどちらも優れた機能を持った存在だった。それに「優劣を付ける」というのは、自然の摂理にも逆らうことになり、だんだん不都合が起きてくる。
しかし、男性性は「一度序列を付けると、それを自分から変えることができない」という。
変化を好む性質は、じつは「自分に不利なことは変えたがるが、自分に有利なことはむしろそのままにしたい」というものにすり替わっている。
もしかしたら、これは女性性のエネルギーかもしれない。「序列を付ける」という男性エネルギーを使ったあとに、バランスをとるために無意識に、「固定化する」という女性エネルギーを使っているのかもしれない。
そうなると、男性たちは「男尊女卑」の序列を固定化するために、あの手この手で「その証拠となるもの」を集め始める。
これは、脳の作用で、脳は自分の作りだした観念を証明するために、その材料だけを集め始めるからだ。
「女性は〜ができないから劣っている」「女性には〜が無いからダメだ」という具合に、証拠集めをしたらしい。しまいには、人体を解剖して「脳の容量が少ないから(女性の脳は、男性より小さいから)機能も少ないはずだ」ということになったという。
今や、パソコンではデスクトップよりノートPCや携帯の方が、機能が上のこともある。
ここで、昔の男性たちの計算外だったことは、
女性を否定すると、女性が持っている能力をも否定することになってしまったことだと思う。
女性性のエネルギーは男性にもあるものだから、それを上手に使いこなすことで、自分の中の男性エネルギーと女性エネルギーのバランスがとれて、本来の男性エネルギー自体も上手く機能する。
しかし、それが、使えなくなってしまったのだ。
女性エネルギーを否定したことで、まるでブレーキの利かない車のようになり、アクセル自体も上手く機能しない、といった具合だ。
さらに、そのことに気づいていないか、気づかないふりをして、上手くいかないことを女性のせいにしているフシがある。
気の毒なことだが、これでは女性達から恨みを買ってもしようがないかもしれない。
---
女性性のエネルギーは、
すべてを同一視したり、同等の価値があると感じる力
男性が、赤ちゃんに「長男・次男…」と序列をつけ、役割りの出来・不出来で優劣をつけるのと違い、
自分の赤ちゃんひとり一人を「大事な子ども」として感じる。
だから、子供たちに「お母さんは、誰が一番好き?」と聞かれても、「どの子も私の大事な宝物よ」と答えるしかない。愛情は理屈ではないから、条件はないので。
だから、女性性のエネルギーをしっかり持った男性も「どの子どももかわいい」と答えるだろう。
逆に、女性性が病んでしまったお母さんは、「下の子は私の言うことを聞くから良い子で、上の子は言うことを聞かないから悪い子」と区別しているかもしれない。
女性に感じられる「区別」というのは、一人ひとりの個性であって、それは突き詰めて行くと「良い・悪い」ではない。
母親が、子育ての段階で「自分に都合が良い・悪い」で判断を下すことはあっても、「この子は悪人だから愛さない」ということにはならないからだ。むしろ、愛は無条件だから「ダメな子でもかわいい」ということにもなる。
男性性のエネルギーを上手に使うことのできる女性は、能率に対して「優先順位」をつけて行動することができるが、男性エネルギーを上手く使えないと、自分の気分を落ち着けるもの(気分を良くするもの)に執着しやすくなる。
話を戻そう。
では、そんな女性達がなぜ「お受験」だの「夫の社会的地位」だので争うのか?
醜い感情的な争いは女性特有のものだと思っている人は多いと思う。
女性性を否定されているので、調和が使えないから
男性と同じような序列争いを真似ている
女性は、子どもとの一体感を味わうことも多く、不調和があると気がつくので、いつも周囲と仲良くやりたいと思う。
しかし、社会はそれを許さず、いつも誰かと比べて良い悪いを決められるため、ストレスを積み重ねて行く。
(安富朱利さんの言葉を借りれば、「バトルステージ」の社会の中にいる)
バトルステージでいることは、男性性エネルギーの強い人には楽しい世界だけれど、女性性のエネルギーにとってはとてもストレスが大きい。だから、女性はこの社会にいるだけで、ノルアドレナリンが溜まり、セルフイメージが下がって行く。それを解消するためには、いつも良い気分でいる必要があり、そのためにドーパミンが出ることを探し求めなければならない。
女性でも、男性性エネルギーが上手く働くと、自分を向上させるためや切磋琢磨するために、「競争」を活用することができる。その場合、「争い」ではなく「競い合い」という感じ。
男性でも、女性性のエネルギーと男性性エネルギーのバランスが良いと、セルフイメージが高く、「競い合い」で自分を磨くことをしていると思う。
問題は、男性性優位の世界観の中で、女性性のエネルギーが上手く機能していないこと。
それによって、女性のセルフイメージが下がると、子育てに大きな影響が出る。セルフイメージの低い女性(母親)がセルフイメージの低い子供たちを育てると、男性のセルフイメージも下がる。
争いの激化した世界になって、さらに、全体のセルフイメージが下がる。
女性性のエネルギーが上手く使えないと、男性性のエネルギーも使いこなせないから、世界(外国)とやりとりする時にセフルイメージが低いままだと、対等な関係が結べない。
そして、そのことに気づいていないか、気づいても、それを相手のせいにしてしまうのだ。
---つづく。
(メモなので、文章がまとまっていません。ご了承ください)
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これは、私のライフワークの一つでもある。
陰と陽のバランスのこと。
エネルギーの男性性と女性性の、バランス良い使い方。調和した、上手い使い方を伝えたい。
便宜上、「男性性」「女性性」という表現を使うけれど、これは、人間の男性にも女性にも備わっているエネルギーのこと。
例えば、男性性の強い男の人を見ると、「あの人は男らしい男性だ」と感じ、
女性性の強い女の人を見ると、「あの人は女らしい女性だ」と感じる。
逆に、女性性の強い男の人を見ると、「あの男性は、ちょっと女っぽいな」と感じ、
男性性の強い女の人を見ると、「彼女は、ちょっと男っぽい」と言われるはずだ。
ここまでは、感覚的な話。
男性性・女性性と言われても、具体的にどんなものなのかを説明しなければ、捉えにくいと思う。
・男性性とは、
外に向かって行くエネルギー。能動的
優劣や序列や差をつける考え方。そういう意味で、縦の流れ。
境界線を引く、他者との違いを明確にする、ナワバリを持つ
ピラミッド型△や、四角□のように角があり、ぶつかると痛い感じ
変化と冒険を好み、安定や退屈を嫌う
現象を、五感で認識する(視覚・聴覚・体感覚・味覚・嗅覚などなど)
右脳と左脳をつなぐ「脳梁(のうりょう)」という部分が、女性よりも狭いので、一度に1つのことしかできないか、1つの事に集中しやすい。
--(あとで、詳細の記事を追加する予定)
・女性性とは、
内面に向かって行くエネルギー。受動的
調和やバランスをとろうとする。横の流れ
境界線をはずし、一体化する力
受け取る立場なので、▽型や、中心から等しい方円の○の感じ
安定を好み、変化を恐れたり嫌う傾向がある
理屈や現象の証明がなくても、感覚で物事を捉えて対処することができる
右脳と左脳をつなぐ「脳梁(のうりょう)」という部分が、男性よりも太いので、一度にいくつものことをこなす。一度にいろいろなものを見たり感じたりするので、注意力が散漫になりやすいとも言える。
また、右脳から左脳に情報を運ぶのが早いので、言語化して「気づいたことを何でも喋る」という傾向があり、感情を言葉にして表現することに長けている。そのぶん、言葉に感情を混ぜて表現しやすい
免疫力を高めるために、自分が好い気分でいることが重要だと本能的に感じているようだ。
男性が変化を好み、女性が安定を好むというのは、一般論で、子育てから来ている感じがするが、
脳の作用からすると、男性は変化に対応しづらく、女性は変化に気づきやすい、と言える。
これは、身体と脳のしくみが違うことで、男女ともバランスをとっているのかもしれない。
これだけの違いがあって
逆方向に向いているのだから、そこだけ見ると、争いのタネになりそうだ
しかし、これはもともと一人の人間の中に(両方とも)存在している。
基本として、男の中に、男性性のエネルギーが強いこと、
女の中に、女性性のエネルギーが強いこと、はホルモンの関係かもしれない。
だから、ホルモン状態や、環境から来る価値観の違いで、
女でも男性性の強い人がいるし、男でも女性性の強い人がいる。
または、女でも女性性の弱い人、男でも男性性の弱い人…がいる、という言い方でも良い。
なぜ、ここで逆の言い方をしてみるかというと、A=BとB=Aが成り立つかどうかを確認している。A=BとB=Aが成り立てば、それはフェアな関係だと判るし、成り立たなければ偏っていることが判るからだ。
男性性のエネルギーと女性性のエネルギーは、どちらもその個体(人間)が、幸せに生活するために、便利に使われるべきものだ。
だから、どちらかを否定したり、悪者にすると、とたんに私達はバランスを崩して、苦しい生き方を余儀なくされる。
しかし、どうやら日本では(世界の他の国もそうかもしれない)、まだまだこのバランスが上手く取れていないようなのだ…
男性性のエネルギーは、外に向かって行く力なので、外交的であり、何かを表現するにしても、言葉や形にしてあらわそうとする傾向がある
よく男性が、理屈や論理を好むのも、言葉で説明して辻褄が合うことを求めるから。
男性性は、周囲の人間関係や、ものごとを捉える時に、序列を作り、「あっちが上、こっちが下」などの捉え方をする。
序列が整っていることが前提で世界を見ているので、その序列が変わった時に、「下克上(げこくじょう)」と呼んで驚いたりする。
境界線は、いわば「動物としてのナワバリ」のことでもある。
国で言うなら「国境」のこと。だから、「領土問題」は男性性の問題でもある。
もともと「ナワバリ」は、人が生き物(動物の一種)として、安全で実り豊かに暮らせるかどうか、生活環境を守る意識だと思う。
過去の地球上では、環境が厳しく、ナワバリを守るのは男性の役割りだった。
というのも、人間の女性は妊娠すると戦いには不利になるため、役割り分担が上手くなされていたのだと思う。
しかし、その立場が長く続くと、
男性性には「どちらかが優位で、どちらかが劣っている」と考える傾向があるため、
能動的に機能する「男」が優位で、受け身で守られている「女」は下位だと思い込んでしまったようだ。
本来、この考え方は間違っているわけで、男性・女性はどちらも優れた機能を持った存在だった。それに「優劣を付ける」というのは、自然の摂理にも逆らうことになり、だんだん不都合が起きてくる。
しかし、男性性は「一度序列を付けると、それを自分から変えることができない」という。
変化を好む性質は、じつは「自分に不利なことは変えたがるが、自分に有利なことはむしろそのままにしたい」というものにすり替わっている。
もしかしたら、これは女性性のエネルギーかもしれない。「序列を付ける」という男性エネルギーを使ったあとに、バランスをとるために無意識に、「固定化する」という女性エネルギーを使っているのかもしれない。
そうなると、男性たちは「男尊女卑」の序列を固定化するために、あの手この手で「その証拠となるもの」を集め始める。
これは、脳の作用で、脳は自分の作りだした観念を証明するために、その材料だけを集め始めるからだ。
「女性は〜ができないから劣っている」「女性には〜が無いからダメだ」という具合に、証拠集めをしたらしい。しまいには、人体を解剖して「脳の容量が少ないから(女性の脳は、男性より小さいから)機能も少ないはずだ」ということになったという。
今や、パソコンではデスクトップよりノートPCや携帯の方が、機能が上のこともある。
ここで、昔の男性たちの計算外だったことは、
女性を否定すると、女性が持っている能力をも否定することになってしまったことだと思う。
女性性のエネルギーは男性にもあるものだから、それを上手に使いこなすことで、自分の中の男性エネルギーと女性エネルギーのバランスがとれて、本来の男性エネルギー自体も上手く機能する。
しかし、それが、使えなくなってしまったのだ。
女性エネルギーを否定したことで、まるでブレーキの利かない車のようになり、アクセル自体も上手く機能しない、といった具合だ。
さらに、そのことに気づいていないか、気づかないふりをして、上手くいかないことを女性のせいにしているフシがある。
気の毒なことだが、これでは女性達から恨みを買ってもしようがないかもしれない。
---
女性性のエネルギーは、
すべてを同一視したり、同等の価値があると感じる力
男性が、赤ちゃんに「長男・次男…」と序列をつけ、役割りの出来・不出来で優劣をつけるのと違い、
自分の赤ちゃんひとり一人を「大事な子ども」として感じる。
だから、子供たちに「お母さんは、誰が一番好き?」と聞かれても、「どの子も私の大事な宝物よ」と答えるしかない。愛情は理屈ではないから、条件はないので。
だから、女性性のエネルギーをしっかり持った男性も「どの子どももかわいい」と答えるだろう。
逆に、女性性が病んでしまったお母さんは、「下の子は私の言うことを聞くから良い子で、上の子は言うことを聞かないから悪い子」と区別しているかもしれない。
女性に感じられる「区別」というのは、一人ひとりの個性であって、それは突き詰めて行くと「良い・悪い」ではない。
母親が、子育ての段階で「自分に都合が良い・悪い」で判断を下すことはあっても、「この子は悪人だから愛さない」ということにはならないからだ。むしろ、愛は無条件だから「ダメな子でもかわいい」ということにもなる。
男性性のエネルギーを上手に使うことのできる女性は、能率に対して「優先順位」をつけて行動することができるが、男性エネルギーを上手く使えないと、自分の気分を落ち着けるもの(気分を良くするもの)に執着しやすくなる。
話を戻そう。
では、そんな女性達がなぜ「お受験」だの「夫の社会的地位」だので争うのか?
醜い感情的な争いは女性特有のものだと思っている人は多いと思う。
女性性を否定されているので、調和が使えないから
男性と同じような序列争いを真似ている
女性は、子どもとの一体感を味わうことも多く、不調和があると気がつくので、いつも周囲と仲良くやりたいと思う。
しかし、社会はそれを許さず、いつも誰かと比べて良い悪いを決められるため、ストレスを積み重ねて行く。
(安富朱利さんの言葉を借りれば、「バトルステージ」の社会の中にいる)
バトルステージでいることは、男性性エネルギーの強い人には楽しい世界だけれど、女性性のエネルギーにとってはとてもストレスが大きい。だから、女性はこの社会にいるだけで、ノルアドレナリンが溜まり、セルフイメージが下がって行く。それを解消するためには、いつも良い気分でいる必要があり、そのためにドーパミンが出ることを探し求めなければならない。
女性でも、男性性エネルギーが上手く働くと、自分を向上させるためや切磋琢磨するために、「競争」を活用することができる。その場合、「争い」ではなく「競い合い」という感じ。
男性でも、女性性のエネルギーと男性性エネルギーのバランスが良いと、セルフイメージが高く、「競い合い」で自分を磨くことをしていると思う。
問題は、男性性優位の世界観の中で、女性性のエネルギーが上手く機能していないこと。
それによって、女性のセルフイメージが下がると、子育てに大きな影響が出る。セルフイメージの低い女性(母親)がセルフイメージの低い子供たちを育てると、男性のセルフイメージも下がる。
争いの激化した世界になって、さらに、全体のセルフイメージが下がる。
女性性のエネルギーが上手く使えないと、男性性のエネルギーも使いこなせないから、世界(外国)とやりとりする時にセフルイメージが低いままだと、対等な関係が結べない。
そして、そのことに気づいていないか、気づいても、それを相手のせいにしてしまうのだ。
---つづく。
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