とりあえず「男性性を救うための記事」として、メモ代わりに書いております。
「男性を救うための記事.1」http://leoriel.blog105.fc2.com/blog-entry-1629.htmlのつづきです。「男性の生きづらさ」を書く時、実際には、そのまえに「女性の生きづらさ」を忘れてはいけない。
この2つは、両輪なので、どちらかが困っている時は、かならずもう一方も困っていると前提して考えるべきなのだ。
男性も女性も、どちらも悪くない。ただ、そういう性質だから。
レモンが酸っぱいように、リンゴがシャキシャキしているように、それは単なる性質であって、ステキな特性でもある。しかし、その特性を知らず、誰かが全く違う期待をしたとしたら…レモンが甘いと思って、リンゴはモチモチしていると思って噛んだら、期待が裏切られたことに驚いて怒り出すかもしれない。それだけのことなのだ。
男性性は、序列を付けるために競争するエネルギー。女性性は、一体化するために調和を求めるエネルギー。そう言うと、「いや、女性だって競争するじゃないか」と思う人もいるかもしれない。
しかし、女性が競争に血道を上げて来たのは、男性性優位の世界観の中でどっぷり浸かっていたからで、それが何百年と続いて、女性自らもそう思い込んでいるだけ。
男性が、女性性のエネルギーを恐れた理由の一つは、「一体感」だと言われている。
人間の母親は、胎内で赤ちゃん(子ども)を育てるから、ホルモンを共有して、同じ感情を味わうという。だから、出産して子どもが母体と離れても、しばらくは一体感が残る。それが、母子間の能力でもあり、互いに助け合っていられる。
しかし、子どもが自立し始めると、一体感はだんだん薄れて、お互いの「境界線」を持たなければならない。
女性(母親)に、
男性性と女性性のエネルギーのバランスがあれば、
子どもを産み、育てる時に使った「一体感」で、「子どもが自立したがっている」ことを感じ取り、
今度は男性性エネルギーの持つ「境界線」を守ることを奨励して、子どもを自立させることができる。
ところが、男性性優位の社会では、
女性性がないがしろにされてしまい、女性性が発揮できなくなり、それによって女性自身がエネルギーのバランスを崩してしまっているため、今度は男性性も発揮できなくなるという悪循環(スパイラル)になっていく。
そこで、母親は、コントロール不能(マネジメント不能)になった「女性性」によって、子どもとの一体感を求め、子どもが「自立」することを、「反抗」だと思うようになる。
自分に甘えてもらい、その関係に依存して、子供たちが自分の側から離れないようにしてしまう。
“変化や冒険を求める”男性たちが、もっとも嫌い恐れるのは、この母子一体感だ。
男性の中にも、母親との一体感を求める心(欲求)は常にあるという。
それは哺乳類としては当たり前で、別に恥じるものでもなく、健康的な絆といえる。
その時、母親に「男性性・女性性のエネルギー」が正しく作用していれば、必要な時に一体感を与えつつ、それ以外の時には、男の子を冒険に送り出す力になっていたはずだ。
もし、母親が子どもにベッタリしなければ、男の子は自分の中の「母子一体感の欲求」を恐れないですむのだ。
しかし、母親(女性)が、その社会的地位を安全に守られていなければ、女性の中の「不安感」が募り、何か強いものとの「一体感」を欲して、「境界線を守る」ことができなくなってしまう。
男性(父親)の側はどうか?といえば、女性性と男性性のエネルギーバランスの良い父親なら、妻との関係も良好で、子どもとの一体感と甘え(依存)を「保護」として認めたうえで、子どもの自立を「成長」として頼もしく思い、自分の仕事の手伝いをさせたりして、子どものセルフイメージを上げて、自立と成長を促すことができる。
実際に、そういうバランスのとれた男性(お父さん)は存在している。
しかし、男性の中の「女性性と男性性のエネルギーバランス」が悪いと、「男だから、女だから」という性別で優劣をつけたり、子どもの個性による能力差を優劣にしたりする。
セルフイメージの低い父親は、子どもに自分の立場を越されたくないので、子どもの能力を封じようと無意識に動く。
自分と比べて「これが出来ていない。あれが出来ていない」と子どもを非難する。
非難された子どもは、セルフイメージが低くなり、さらに人と争って勝とうとする。非難された子どもは、競争が当たり前のバトルステージにいるので、中には、反発して父親を越えようとする場合もある。
子どもの反抗が、うまく自立を促せば、それが「躾(しつけ)」ということになり、子どものために非難することが必要だと思い込むだろう。
この物質的世界は、男性性優位の価値観だし、戦いに勝つことは、幸せを手に入れることに直結していたので、あまり違和感はなかったと思う。
「戦いに勝つと幸せになり、負けると不幸になる」「勝った人は偉くて、負けた人は偉くない」「勝った人は偉い人だから、負けた人は勝った人の言うことを聞かなければならない」という価値観を植え付けられ、それに従って生活する。
ただ、それは「脳」にとっては、
常に「戦いに負けたら、不幸になる」という恐れを持ち続ける人生(価値観)ということなので、
男性たちは、数千年の間、この「恐怖」によるストレスを持ち続けている。
男性性は、見えるもので判断する世界だから、
たくさんの物を持っている人は、優れた人で、勝った人、幸せな人、だと思うこともある。
実際には、「心のゆとりを持っている」という見えない満足もあるが、それは女性性のエネルギーを上手く活用している人にしか気がつけない感覚。
自分の幸せは、おのおの自由に決めて良いはずなのに、誰かお殿様や父親や有力者が決めた価値観に従ってしまう。
職業に貴賤はないのに、「これが立派だ」とか「これは低い」とか勝手に決められてしまう。
この「順位をつける」感覚は、男性性。「誰か偉い人に従おうとする」のも男性性。
男性の(男性性の強い)人間関係と言うのは、基本は「上下関係」のことで、上位の人間の命令を、下位の人間が聞く、という図式。
一方、女性(たとえば、母親)の感覚はどうか?というと、家族の中で、たとえ長男・長女という年齢の物理的な順位があったとしても、末っ子が何か欲しいものを要求した時に、「あんたは一番幼いんだから黙っていなさい」とは言わず、
むしろ、弱いもの(立場の弱い者)に対して、自愛の感覚を持って対応する。
「どうしたの?何かして欲しいの?」と、子どもの目線に立って(自分の腰をかがめて)話を聞こうとしたりする。
つまり、女性性のエネルギーは、下位の人間の要求であっても、上位の人間が配慮する、という関係。
この女性性のエネルギーをバランス良く持っている人は、男でも女でも「話の分かる人だ」という印象になると思う。実際に、そういう人物、そういうリーダーは存在する。
男性性・女性性のエネルギーについて、実際のやりとりから検証しているので、
まだこの記事では、まとまりがついていないと思うが、具体例から「男性性・女性性の違い」を察してもらいたい。
そして、この二極のエネルギーバランスがとれている時の人間の素晴らしさと、
バランスが崩れて偏りが生じた時の人間の苦しさに気づいてもらいたい(笑)。
といっても、誤解しないでもらいたいのは、
スピリチュアルな立場から言うと、バランスの崩れは「悪」ではなく、魂のチャレンジなので、苦しい状態を味わっていたからといって、非難されたり低く扱われたりはしないということ。たとえば、「バランスがとれていない人は、能力が劣っている(人間として価値が低い)」という価値観なら、それは「男性性エネルギー」から見た視点だということになる。
男性性のエネルギーを使って、
「苦しむことは、よくないことだ」と一時的に定義することによって、その状態から抜けるための努力や工夫をするのであれば、その男性性エネルギーの使い方は、賞讃に値すると言える。
女性性のエネルギーでバランスをとり、
「苦しむことは、本当に良くないことだろうか?」と問いかければ、
「その苦しみは、さらに先に進むための一時的なプロセス」という答えに辿り着けるはずだ。
女性性と男性性のエネルギーから導き出される次のステップは、まるで、父と母から生まれる子どものように、絶妙な関係だと解る。
---つづく。
(メモなので、文章がまとまっていません。ご了承ください)
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