民主主義のメッセージ
- 2015/04/23
- 19:59
「民主主義」のイメージについてのメッセージ。
この名称を使うのは、私が、個人的に民主主義を理解していないだけかもしれないので、定義の違いがあったらすみません。
「民主主義」というと、単純に「多数決」と思っている人は多いかもしれないですが、
実際、高次元からの愛と調和の世界観は、もっと詳細になっています。
スピリチュアル・メッセージで来たヴィジョンを、例え話で説明します。
5人兄弟で、おやつに「大福」を買うことになった。
例1--
2人は、こしあんが好きだけれど、
3人は、つぶあんが好き。
どちらかしか、買えない場合。
・まず、多数決だけなら「つぶあん」を購入し、2人は我慢して食べる。
その代わり、こんど買う時は、こしあんにする。
・話し合ってみたら、こしあん派は、こしあんしか食べられないが、つぶあん派はどちらでも食べられることが解ったので、こしあん5つのパックを購入する。
バラバラに選べる時は、こしあん・つぶあん両方買うことを約束する。
例2--
1人は、いちばん年下で、こしあんしか食べられないけれど、
4人は、つぶあんが好き。
どちらかしか、買えない場合。
・多数決で、つぶあんを買い、こしあん派の一人が我慢する。
こしあん派の一人は、皆で何か代わりのおやつをあげる。
・つぶあん派は、こしあんでも食べられることが解り、弱者であるこしあん派のために、こしあん5個パックを買う。
その代わり、自分のお小遣いでつぶあんを買ってもいいし、
次回、兄弟の中で「どうしてもこれしか食べられない」というものがあったら、それに合わせてもらえる。
---という感じです。
こうなると、強者(健康で、好き嫌いや苦手なものが少ない人)が、我慢を強いられる世界に見えるかもしれません。
でも、メッセージでは、そういう健康体(または強者)は、自分の力でどんどん欲しいものを手に入れ、やりたいことができるので、基本として不自由を感じることが少ない、と思われます。
一方で、圧倒的多数決でどちらかに決まった場合、弱者には不満や困難が生じますが、
強者(または多数)がそれをおぎなってあげる形で、不満を最小限に解消できる(解消しなければならない)ということになるそうです。
これを、5人兄弟と思うと、他人のために自分が犠牲になる(自分のために、他者が犠牲になる)と思うかもしれませんが、基本形なので、このかたちは
5本の指や、自分の五臓六腑や、五体にも当てはまり、
そこから、家族・クラスメイト・社会…という考え方になるそうです。
だいたい、「8割の人が賛成することを実行すれば、スムーズな流れになるので、その余力で、残り(反対)2割の人の不満を解消すれば良い」というメッセージもありました。
たぶん、おたがいに話し合って、なにが不満かを正直に伝えることができれば、それは解消されるか、補われるのがこの世界だと思います。
不満を隠したり、話し合いもせずにルールを押し付けたり、考えを押し付けたりすると、不満の蓄積が憎しみとなって、互いに攻撃し合う世界になるわけです。
「小さい世界のルールが、そのまま大きな社会に通用するのか?」と思うかもしれません。
物理的な重さや長さは、縮小→拡大ではすまないことがあります。
しかし、心の満足や人間関係など、数値で計れない(計りにくい)ものの基本形は、大自然とおなじ「相似形(フラクタル)」で良いようです。
小さい世界は、大きい世界の縮小形であり、大きい世界は、小さい世界の拡大形である。
つまり、葉脈を拡大すると木の枝になり、人間の肺の血管とおなじ形になる(できている)という黄金比率の世界です。
5対5や4対6のような差の場合や、絶対譲れない場合もあるので、
私個人の考えとしては、
こしあんもつぶあんも同時に手に入る世界を「引き寄せ」しますが…
--とりあえず。
このテーマは、また別な例え話が来たら、記事に追加する予定です。
この名称を使うのは、私が、個人的に民主主義を理解していないだけかもしれないので、定義の違いがあったらすみません。
「民主主義」というと、単純に「多数決」と思っている人は多いかもしれないですが、
実際、高次元からの愛と調和の世界観は、もっと詳細になっています。
スピリチュアル・メッセージで来たヴィジョンを、例え話で説明します。
5人兄弟で、おやつに「大福」を買うことになった。
例1--
2人は、こしあんが好きだけれど、
3人は、つぶあんが好き。
どちらかしか、買えない場合。
・まず、多数決だけなら「つぶあん」を購入し、2人は我慢して食べる。
その代わり、こんど買う時は、こしあんにする。
・話し合ってみたら、こしあん派は、こしあんしか食べられないが、つぶあん派はどちらでも食べられることが解ったので、こしあん5つのパックを購入する。
バラバラに選べる時は、こしあん・つぶあん両方買うことを約束する。
例2--
1人は、いちばん年下で、こしあんしか食べられないけれど、
4人は、つぶあんが好き。
どちらかしか、買えない場合。
・多数決で、つぶあんを買い、こしあん派の一人が我慢する。
こしあん派の一人は、皆で何か代わりのおやつをあげる。
・つぶあん派は、こしあんでも食べられることが解り、弱者であるこしあん派のために、こしあん5個パックを買う。
その代わり、自分のお小遣いでつぶあんを買ってもいいし、
次回、兄弟の中で「どうしてもこれしか食べられない」というものがあったら、それに合わせてもらえる。
---という感じです。
こうなると、強者(健康で、好き嫌いや苦手なものが少ない人)が、我慢を強いられる世界に見えるかもしれません。
でも、メッセージでは、そういう健康体(または強者)は、自分の力でどんどん欲しいものを手に入れ、やりたいことができるので、基本として不自由を感じることが少ない、と思われます。
一方で、圧倒的多数決でどちらかに決まった場合、弱者には不満や困難が生じますが、
強者(または多数)がそれをおぎなってあげる形で、不満を最小限に解消できる(解消しなければならない)ということになるそうです。
これを、5人兄弟と思うと、他人のために自分が犠牲になる(自分のために、他者が犠牲になる)と思うかもしれませんが、基本形なので、このかたちは
5本の指や、自分の五臓六腑や、五体にも当てはまり、
そこから、家族・クラスメイト・社会…という考え方になるそうです。
だいたい、「8割の人が賛成することを実行すれば、スムーズな流れになるので、その余力で、残り(反対)2割の人の不満を解消すれば良い」というメッセージもありました。
たぶん、おたがいに話し合って、なにが不満かを正直に伝えることができれば、それは解消されるか、補われるのがこの世界だと思います。
不満を隠したり、話し合いもせずにルールを押し付けたり、考えを押し付けたりすると、不満の蓄積が憎しみとなって、互いに攻撃し合う世界になるわけです。
「小さい世界のルールが、そのまま大きな社会に通用するのか?」と思うかもしれません。
物理的な重さや長さは、縮小→拡大ではすまないことがあります。
しかし、心の満足や人間関係など、数値で計れない(計りにくい)ものの基本形は、大自然とおなじ「相似形(フラクタル)」で良いようです。
小さい世界は、大きい世界の縮小形であり、大きい世界は、小さい世界の拡大形である。
つまり、葉脈を拡大すると木の枝になり、人間の肺の血管とおなじ形になる(できている)という黄金比率の世界です。
5対5や4対6のような差の場合や、絶対譲れない場合もあるので、
私個人の考えとしては、
こしあんもつぶあんも同時に手に入る世界を「引き寄せ」しますが…
--とりあえず。
このテーマは、また別な例え話が来たら、記事に追加する予定です。
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