脳死と臓器移植ほかいろいろ
- 2009/07/12
- 21:55
先日の東京都議選挙、投票率が54%で、なんとかボーダーラインを越えましたね。
これで、引き寄せる未来像がだいぶ良くなったようです。
宇佐八幡の奥宮まで登ったかいがありました。
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るちたま(弥勒菩薩系)のメッセージ。
スピリチュアルな視点から見た、いろいろな事例への回答と、情報。
■脳死を人間の死と位置づけて、臓器移植のための提供を増やそうということになりましたね。
現場の意見が数字で示されていないので、ホントはこんな状況では判断してはならない話しなんですけど。
たとえば、目の前で死者が出て、その臓器がどんどん死滅して行くのがもったいない、とかいうなら検討の余地がありますが。
基本は、人工細胞で臓器を作る方が優先でしょう。
実は、スピリチュアルなチャネラーの視点からすれば、脳死だろうと肉体の死であろうと、魂との対話なので、あまり関係ないんですよね。
魂と対話して、死者本人が臓器を提供したいと言えば、その希望どおりにしてあげればいいだけのこと。(重要なのは、チャネラーの腕前ということに…)
私が危惧しているのは、子供たちの臓器が狙われるということ。
高次元とチャネリングできない人間は、自ら正解を知ることができないわけですから、制限をかけないと暴走しやすいので。
生き延びられる子供たちを助けたい気持ちは理解できるから、あとはこの宇宙のルール「自業自得の法則」(=自分が与えたものが返って来る)に照らし合わせて、決断するのが大事。
自分のこと(利益)しか考えられない人は、あとで同じ立場に立たされるということでもあり。
つまり、自分の子どもが脳死と判定された時、喜んで子どもの臓器を提供できるという人は、他のだれかから受け取ることも許される、ということですよね。
----------------話しかわって、
■なぜ子どもは横断歩道で手を挙げて渡るように言われるのか?
いや、もうお分かりの人もいると思うんですけど、知らない人もいて、ビックリしたことがあるので…。
もちろん、子どもは身長が低いから、車から見えない場合も多いから、手を挙げて(手や旗を振って)遠くからも近くからも運転手に認識してもらう必要があるからですよね。
手を伸ばせば、少しでも高さが稼げるので…
手を少しゆらせば、ドライバーの注意をひくこともできるし。
■なぜ学生は制服を着せられるのか?
動物のドキュメンタリー番組をみれば学べると思いますが、
群れて同じ衣裳でいれば、そのコミュニティ全体がその子を守ってくれるからですよね。
子供たちは、まだまだ危険を知らずに生きているので。
鹿なら、背中のハンテンが同族の子鹿だと解るようになっているので、いざという時に他の大人に庇ってもらえる。(自然はいろいろ学ばせてくれる)
子どもは人類の未来だから、ちゃんと守って育てないと、民族がほろびるということなので。制服は没個性というはなしもあるけど、それは平和に守られている文化の中で。
命にかかわる時には、個性は後回し。
それに、学校でおしゃれ禁止というのも、
大人でさえ、興味ないことに(それが必要なことでも)ストレスを感じるんだから、子どもが気を散らさず勉強に専念するためには、しっかり集中してもらわないとならないんですね。
アクセサリーなんかは流行もあって、競争になりやすい。
それよりも、自分自身の個性に向き合った方が、後が楽で早いですから。
子どもが勉強に興味を持つか持たないかは、個性・才能もあるけど、ほとんどは教え方の問題でもあり。
お化粧したり髪型変えなくても、ひとり一人が尊重されていることの方が大事。
興味があるなら、イベントを企画するか、でなければ学校以外の所でやるべき。それで危険が及んでも、自己責任(親のしつけの責任)のはず。
理性でものを考えられないなら、人間ではなく一個の動物として見るべきで、自分の身の危険は自分で回避しなければならなくなる。
弱い立場の生き物が、集団で守りあって行動するのも自然の摂理。
何かのルールがあるときは、その前に「それをした方が得をする」考えがあってのこと。
だから、その根本の「前提」を変えることができれば、固定観念などをはずすことができれば、
ルールは変えられるということですね。
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これで、引き寄せる未来像がだいぶ良くなったようです。
宇佐八幡の奥宮まで登ったかいがありました。
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るちたま(弥勒菩薩系)のメッセージ。
スピリチュアルな視点から見た、いろいろな事例への回答と、情報。
■脳死を人間の死と位置づけて、臓器移植のための提供を増やそうということになりましたね。
現場の意見が数字で示されていないので、ホントはこんな状況では判断してはならない話しなんですけど。
たとえば、目の前で死者が出て、その臓器がどんどん死滅して行くのがもったいない、とかいうなら検討の余地がありますが。
基本は、人工細胞で臓器を作る方が優先でしょう。
実は、スピリチュアルなチャネラーの視点からすれば、脳死だろうと肉体の死であろうと、魂との対話なので、あまり関係ないんですよね。
魂と対話して、死者本人が臓器を提供したいと言えば、その希望どおりにしてあげればいいだけのこと。(重要なのは、チャネラーの腕前ということに…)
私が危惧しているのは、子供たちの臓器が狙われるということ。
高次元とチャネリングできない人間は、自ら正解を知ることができないわけですから、制限をかけないと暴走しやすいので。
生き延びられる子供たちを助けたい気持ちは理解できるから、あとはこの宇宙のルール「自業自得の法則」(=自分が与えたものが返って来る)に照らし合わせて、決断するのが大事。
自分のこと(利益)しか考えられない人は、あとで同じ立場に立たされるということでもあり。
つまり、自分の子どもが脳死と判定された時、喜んで子どもの臓器を提供できるという人は、他のだれかから受け取ることも許される、ということですよね。
----------------話しかわって、
■なぜ子どもは横断歩道で手を挙げて渡るように言われるのか?
いや、もうお分かりの人もいると思うんですけど、知らない人もいて、ビックリしたことがあるので…。
もちろん、子どもは身長が低いから、車から見えない場合も多いから、手を挙げて(手や旗を振って)遠くからも近くからも運転手に認識してもらう必要があるからですよね。
手を伸ばせば、少しでも高さが稼げるので…
手を少しゆらせば、ドライバーの注意をひくこともできるし。
■なぜ学生は制服を着せられるのか?
動物のドキュメンタリー番組をみれば学べると思いますが、
群れて同じ衣裳でいれば、そのコミュニティ全体がその子を守ってくれるからですよね。
子供たちは、まだまだ危険を知らずに生きているので。
鹿なら、背中のハンテンが同族の子鹿だと解るようになっているので、いざという時に他の大人に庇ってもらえる。(自然はいろいろ学ばせてくれる)
子どもは人類の未来だから、ちゃんと守って育てないと、民族がほろびるということなので。制服は没個性というはなしもあるけど、それは平和に守られている文化の中で。
命にかかわる時には、個性は後回し。
それに、学校でおしゃれ禁止というのも、
大人でさえ、興味ないことに(それが必要なことでも)ストレスを感じるんだから、子どもが気を散らさず勉強に専念するためには、しっかり集中してもらわないとならないんですね。
アクセサリーなんかは流行もあって、競争になりやすい。
それよりも、自分自身の個性に向き合った方が、後が楽で早いですから。
子どもが勉強に興味を持つか持たないかは、個性・才能もあるけど、ほとんどは教え方の問題でもあり。
お化粧したり髪型変えなくても、ひとり一人が尊重されていることの方が大事。
興味があるなら、イベントを企画するか、でなければ学校以外の所でやるべき。それで危険が及んでも、自己責任(親のしつけの責任)のはず。
理性でものを考えられないなら、人間ではなく一個の動物として見るべきで、自分の身の危険は自分で回避しなければならなくなる。
弱い立場の生き物が、集団で守りあって行動するのも自然の摂理。
何かのルールがあるときは、その前に「それをした方が得をする」考えがあってのこと。
だから、その根本の「前提」を変えることができれば、固定観念などをはずすことができれば、
ルールは変えられるということですね。
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