男は、なぜ酒の強さを競うのか/追記
- 2016/05/09
- 20:11
「ヴィーナス女神セミナー」のテキストのためのメモとして--
男性は、なぜ、酒に強いかどうかを競い合うのか?という話。
古くからある芝居、映画やドラマのシーンでは、男性たちはしばしばお酒の席で、
「誰が一番強いか(酔わないか)」を競い合ったり気にし合ったりしている。
最近は少ないかもしれないが、古い映画ではよく見かける。
それは、何故なのか?「戦士と女神」の視点から見てみると、面白いことが解る。
女性でもお酒に強い人はいるし、好きで毎日飲む人がいるけれど、
女性同士は、どちらがお酒が強いかを競おうとは思わない。
それは、お酒を楽しみたいからであって、「強い・弱い」は、「楽しめる度合い」としてしか考えない。
(お酒に弱い人は、すぐに酔ってしまってお酒を楽しめない場合があるから)
女性は、潜在的に「女神性(めがみせい)」を持っているので、基本が「愛と調和で楽しく安らげること」を大事にする。
一方、男性はどうかというと…
お酒を嗜好品として、ただ楽しむ(たしなむ)男性も多いけれど、
時として男性が集まったとき(コンパや祭など)、つい「誰が一番お酒が強いか?」を気にしてしまうことがあるようだ。
飲めない人(=お酒に弱い人)は、その場から逃げるか、透明人間のふりをするし、
飲めるもの同士は、「この前は何合飲んだ」とか「朝まで飲んで酔いつぶれた」とか、
よくよく考えてみれば、自己管理の無さを自慢しているかのような話題。
時には、学生コンパなどの席で、ムリして飲んで、急性アルコール中毒とか、
命を失いかねない行為にもつながってしまう…
これまで、愛情をかけ、時間をかけ、お金をかけて育てて来た息子が、
こんなことで命を落としたら…母親の嘆きは計り知れない。
女性から見たら、一見バカみたいに見えるこの行為、
でもじつは、男性と女性の違い、戦士と女神の違いだと言ったら、気づくだろうか?
最近は少ないかもしれないが、古い映画や芝居、ドラマのシーンでは、男性たちはしばしばお酒の席で、
「誰が一番強いか(酔わないか)」を競い合ったり気にし合ったりしている。
それは、何故なのか?
男性は、潜在的に「戦士」で、家族や一族を守るために戦ったり、狩りや漁で獲物を捕らえたり、ナワバリ(国境線・領土)を守ったり、能動的に過ごすことを永くやってきた。
自分が油断をしたら、家族が狙われるし、
自分たちの力が弱ければ、国境を越えて侵略され、一族が攻め滅ぼされるかもしれない。
そういう現実を、長年経験して来ている。
だから男性は、少しでも「強くありたい」と願い、自分を鍛えたりするし、
体力のないものは、知恵や技術で何とか補おうとする。
なわばりを争うのは、家族を安全に養うため
国境を守ろうとするのも、領土を守ろうとするのも、彼らの本能。
序列を大事にする男性性(そういう意味では、犬っぽい。一方で、女性は猫っぽい)。
リーダーを決めるときも、男性の価値観は、トーナメントで一位を競い、序列をつけて管理する(考える)。
(一方で女性は、あまり序列にはこだわらない)
話を「お酒」の話題に戻そう。
「酔う」ということは、理性を失い、通常の判断力が鈍るということだから、戦いの場では弱点になる。
酔うということは、普段は理性で抑えてきた「本性」が現れるということでもある。
イザという時、信頼できるのは、命を託せるリーダーがいるとしたら、
それは理性を失わないで判断できる人か、理性を失っても的確な行動のできる人、
破壊的な本性ではなく、建設的な本性を持った人--なのではないか。
「エクスペンタブルズ」という映画があった。
もと軍人たちが、傭兵として(自分たちを「消耗品」と名乗り)危険地帯でオペレーションを遂行するアクション映画だ。
その中で、酒を飲みながらナイフを的(マト)に当てるゲームをするシーンがある。
女性から見たら、危なっかしくてしょうがない(笑)
でも、こういうシーンはアクション映画にはつきものでもある。なぜ?男性はこれが楽しいのだろうか?
女性から見たら、ただの乱痴気騒ぎのような姿、
そう思ったとき、メッセージがやって来てヴィジョンが見えた。
酒を飲んでいる時は、理性を失いやすく、本性が出やすい。
つまり、緊急事態や非常事態に近い。
そんな時でも、投げたナイフを正確にマトに当てられるとしたら、その男はすごい人だ。
彼らは戦士。行くのは戦場。
つまり、平和な世界ではなく、災害現場などとも同じ、非常事態、せっぱ詰まって理性を失いやすい現場。
そんな時でも、投げたナイフを正確にマトに当てられる人がいたら、その人をリーダーにすれば安心ということになる。
ただ、ゲームを楽しんでいたのではなく、本当は切実な問題。
(これをゲームだと思って楽しめるのは、戦士だから)
女性に、その価値が解るわけもない。
男性本人たちも、もしかしてそこまで気づいていないかもしれない。
逆に、本能的に理解している女性もいるかもしれない。
お酒に強いことを重要視してしまうのも、
飲みくらべで酔いつぶれない男に憧れるのも、
リーダーを求める(または、自分がリーダーになるための)戦士の本能。
トーナメントで序列を決め、信頼できるリーダーを求めるのも、
しょっちゅう腕相撲大会を開くのも、取っ組み合っているのも、
全部おなじ理由から来ていたのだ---
それは、彼らが戦士だから。
(男性の中には「それはただの本能だ」と言う人がいるかもしれないが、それこそが男性性エネルギーであり、男性ホルモンの作用。だから顕在意識に上がって来ない、とも言える)
--と言いつつ、酒の席で、あえて相手に無茶をさせて、
ライバルを蹴落とそうとか、気に入らないヤツを痛めつけようとか、そう思って一気飲みさせる男もいるのだろう。
ストレス解消と淘汰を兼ねているのかもしれない。
いずれにせよ、そういう行為はセルフイメージが低いインナーチャイルドの傷ついた人間がよくやることだ。あとさきを考えない、自分以外の人間のことまで気が回らない、狭い世界観に陥りやすいのも、男性性エネルギーが多すぎる時に起こる(女性でも、男性性エネルギーが強すぎると、バトルステージで争う人生を過ごす)。
---気をつけたいこと---
男性は、「強くあることに価値がある」と捉えているために、
逆に、「弱い者は価値が無い(価値が低い)」という考えを持ちやすいかもしれない。
だから、肉体労働者として男性の「体力に価値がある」という考えだけだと、
体力のない子どもや女性は、自分たちよりも「価値が低い」とみなしてしまいかねない。
この世界に男性と女性が存在しているのと同じく、
エネルギーも男性性エネルギーと女性性エネルギーが存在している。
(一人の人間の中に、両方のエネルギーがある)
男性性エネルギーは、外に広がり、不要なものを断ち切り、高みを目指す。
女性性エネルギーは、内側を整え育み、繋がり、調和(それぞれが愛され活躍できること)を目指す。
両方揃って使えると、才能が自己実現できる。
男性が女性を嫌うように、女性が男性を嫌うように、
一方のエネルギーばかり使っていると、バランスが崩れて、ちぐはぐな人になってしまう。
競争ばかりする人、
戦いから逃げる人、
最後は、相手を非難したり、自分を責めたり--
今までの社会では、大昔(古代)は別としても、途中から戦前まで男尊女卑で、女性性エネルギーが活用できなかったので、バランスが崩れて戦争でも大敗してしまった。
しかし戦後は、女性性エネルギーが過多になりすぎて、今度は男性性エネルギーが活用できずに、大人が幼児化してしまったり。
「ちょうど良い状態」というのは、なかなか実現していない。
我々は、これから何を選ぶのだろうか?
(この記事の内容は、ヴィーナス女神セミナーで時間のある時にお話ししていますが、時間が足りないとお伝えできないため、ここに記事としてまとめています)
~*~*~ 愛と感謝と祝福をこめて ~*~*~・精神世界ランキング
お読みいただきありがとうございます。掲載記事は、さらに詳しい内容を書籍・CD・DVD等で頒布する予定です♪
LEOリエルのオフィシャルサイト/・メール
スピリチュアルメッセージのメニュー/メッセージブログ
最新メルマガページ
イベントのお知らせ
ご予約の手順&スケジュール・カレンダー
アクセス
セッションへのお申し込みフォーム
お問い合わせ&ワークお申し込みフォーム
ツイッター http://twitter.com/#!/angelriel
☆誉め褒めツイートhttps://twitter.com/leo_riel
--------------
男性は、なぜ、酒に強いかどうかを競い合うのか?という話。
古くからある芝居、映画やドラマのシーンでは、男性たちはしばしばお酒の席で、
「誰が一番強いか(酔わないか)」を競い合ったり気にし合ったりしている。
最近は少ないかもしれないが、古い映画ではよく見かける。
それは、何故なのか?「戦士と女神」の視点から見てみると、面白いことが解る。
女性でもお酒に強い人はいるし、好きで毎日飲む人がいるけれど、
女性同士は、どちらがお酒が強いかを競おうとは思わない。
それは、お酒を楽しみたいからであって、「強い・弱い」は、「楽しめる度合い」としてしか考えない。
(お酒に弱い人は、すぐに酔ってしまってお酒を楽しめない場合があるから)
女性は、潜在的に「女神性(めがみせい)」を持っているので、基本が「愛と調和で楽しく安らげること」を大事にする。
一方、男性はどうかというと…
お酒を嗜好品として、ただ楽しむ(たしなむ)男性も多いけれど、
時として男性が集まったとき(コンパや祭など)、つい「誰が一番お酒が強いか?」を気にしてしまうことがあるようだ。
飲めない人(=お酒に弱い人)は、その場から逃げるか、透明人間のふりをするし、
飲めるもの同士は、「この前は何合飲んだ」とか「朝まで飲んで酔いつぶれた」とか、
よくよく考えてみれば、自己管理の無さを自慢しているかのような話題。
時には、学生コンパなどの席で、ムリして飲んで、急性アルコール中毒とか、
命を失いかねない行為にもつながってしまう…
これまで、愛情をかけ、時間をかけ、お金をかけて育てて来た息子が、
こんなことで命を落としたら…母親の嘆きは計り知れない。
女性から見たら、一見バカみたいに見えるこの行為、
でもじつは、男性と女性の違い、戦士と女神の違いだと言ったら、気づくだろうか?
最近は少ないかもしれないが、古い映画や芝居、ドラマのシーンでは、男性たちはしばしばお酒の席で、
「誰が一番強いか(酔わないか)」を競い合ったり気にし合ったりしている。
それは、何故なのか?
男性は、潜在的に「戦士」で、家族や一族を守るために戦ったり、狩りや漁で獲物を捕らえたり、ナワバリ(国境線・領土)を守ったり、能動的に過ごすことを永くやってきた。
自分が油断をしたら、家族が狙われるし、
自分たちの力が弱ければ、国境を越えて侵略され、一族が攻め滅ぼされるかもしれない。
そういう現実を、長年経験して来ている。
だから男性は、少しでも「強くありたい」と願い、自分を鍛えたりするし、
体力のないものは、知恵や技術で何とか補おうとする。
なわばりを争うのは、家族を安全に養うため
国境を守ろうとするのも、領土を守ろうとするのも、彼らの本能。
序列を大事にする男性性(そういう意味では、犬っぽい。一方で、女性は猫っぽい)。
リーダーを決めるときも、男性の価値観は、トーナメントで一位を競い、序列をつけて管理する(考える)。
(一方で女性は、あまり序列にはこだわらない)
話を「お酒」の話題に戻そう。
「酔う」ということは、理性を失い、通常の判断力が鈍るということだから、戦いの場では弱点になる。
酔うということは、普段は理性で抑えてきた「本性」が現れるということでもある。
イザという時、信頼できるのは、命を託せるリーダーがいるとしたら、
それは理性を失わないで判断できる人か、理性を失っても的確な行動のできる人、
破壊的な本性ではなく、建設的な本性を持った人--なのではないか。
「エクスペンタブルズ」という映画があった。
もと軍人たちが、傭兵として(自分たちを「消耗品」と名乗り)危険地帯でオペレーションを遂行するアクション映画だ。
その中で、酒を飲みながらナイフを的(マト)に当てるゲームをするシーンがある。
女性から見たら、危なっかしくてしょうがない(笑)
でも、こういうシーンはアクション映画にはつきものでもある。なぜ?男性はこれが楽しいのだろうか?
女性から見たら、ただの乱痴気騒ぎのような姿、
そう思ったとき、メッセージがやって来てヴィジョンが見えた。
酒を飲んでいる時は、理性を失いやすく、本性が出やすい。
つまり、緊急事態や非常事態に近い。
そんな時でも、投げたナイフを正確にマトに当てられるとしたら、その男はすごい人だ。
彼らは戦士。行くのは戦場。
つまり、平和な世界ではなく、災害現場などとも同じ、非常事態、せっぱ詰まって理性を失いやすい現場。
そんな時でも、投げたナイフを正確にマトに当てられる人がいたら、その人をリーダーにすれば安心ということになる。
ただ、ゲームを楽しんでいたのではなく、本当は切実な問題。
(これをゲームだと思って楽しめるのは、戦士だから)
女性に、その価値が解るわけもない。
男性本人たちも、もしかしてそこまで気づいていないかもしれない。
逆に、本能的に理解している女性もいるかもしれない。
お酒に強いことを重要視してしまうのも、
飲みくらべで酔いつぶれない男に憧れるのも、
リーダーを求める(または、自分がリーダーになるための)戦士の本能。
トーナメントで序列を決め、信頼できるリーダーを求めるのも、
しょっちゅう腕相撲大会を開くのも、取っ組み合っているのも、
全部おなじ理由から来ていたのだ---
それは、彼らが戦士だから。
(男性の中には「それはただの本能だ」と言う人がいるかもしれないが、それこそが男性性エネルギーであり、男性ホルモンの作用。だから顕在意識に上がって来ない、とも言える)
--と言いつつ、酒の席で、あえて相手に無茶をさせて、
ライバルを蹴落とそうとか、気に入らないヤツを痛めつけようとか、そう思って一気飲みさせる男もいるのだろう。
ストレス解消と淘汰を兼ねているのかもしれない。
いずれにせよ、そういう行為はセルフイメージが低いインナーチャイルドの傷ついた人間がよくやることだ。あとさきを考えない、自分以外の人間のことまで気が回らない、狭い世界観に陥りやすいのも、男性性エネルギーが多すぎる時に起こる(女性でも、男性性エネルギーが強すぎると、バトルステージで争う人生を過ごす)。
---気をつけたいこと---
男性は、「強くあることに価値がある」と捉えているために、
逆に、「弱い者は価値が無い(価値が低い)」という考えを持ちやすいかもしれない。
だから、肉体労働者として男性の「体力に価値がある」という考えだけだと、
体力のない子どもや女性は、自分たちよりも「価値が低い」とみなしてしまいかねない。
この世界に男性と女性が存在しているのと同じく、
エネルギーも男性性エネルギーと女性性エネルギーが存在している。
(一人の人間の中に、両方のエネルギーがある)
男性性エネルギーは、外に広がり、不要なものを断ち切り、高みを目指す。
女性性エネルギーは、内側を整え育み、繋がり、調和(それぞれが愛され活躍できること)を目指す。
両方揃って使えると、才能が自己実現できる。
男性が女性を嫌うように、女性が男性を嫌うように、
一方のエネルギーばかり使っていると、バランスが崩れて、ちぐはぐな人になってしまう。
競争ばかりする人、
戦いから逃げる人、
最後は、相手を非難したり、自分を責めたり--
今までの社会では、大昔(古代)は別としても、途中から戦前まで男尊女卑で、女性性エネルギーが活用できなかったので、バランスが崩れて戦争でも大敗してしまった。
しかし戦後は、女性性エネルギーが過多になりすぎて、今度は男性性エネルギーが活用できずに、大人が幼児化してしまったり。
「ちょうど良い状態」というのは、なかなか実現していない。
我々は、これから何を選ぶのだろうか?
(この記事の内容は、ヴィーナス女神セミナーで時間のある時にお話ししていますが、時間が足りないとお伝えできないため、ここに記事としてまとめています)
~*~*~ 愛と感謝と祝福をこめて ~*~*~・精神世界ランキング
お読みいただきありがとうございます。掲載記事は、さらに詳しい内容を書籍・CD・DVD等で頒布する予定です♪








ツイッター http://twitter.com/#!/angelriel
☆誉め褒めツイートhttps://twitter.com/leo_riel
--------------
- 関連記事
-
- 女性のためのメモ (2016/07/04)
- 男は、なぜ酒の強さを競うのか/追記 (2016/05/09)
- 男性に「大丈夫?」と聞いてはいけない (2016/04/30)