戦争について思うべきこと/さらに追記
- 2009/08/06
- 15:24
はい! またまた戦争について考える時期がやって来ました。
私は、基本「戦争を無くす」ために人類や人間の心理を研究して来たので、感情的な反戦運動や、いい加減な平和論や、効果のない戦争反対論や、口先だけの命の教育だとか、偏った歴史観やらは、すべて効果がないことから、本気ではない「=結果、むしろ戦争を煽っている。陰謀の一つである」とさえ感じます。
戦争について語る時には、「戦争という概念」「過去の戦争体験」「核爆弾や兵器の使用」などを一応分けて考えるべきだと思います。(争う時には、必ず何もかもがごちゃ混ぜになっている時なので)
今どき「何で戦争なんかやったの?」と聞く若者もいるようですが、そんな愚問、歴史の当事者として学ばないとまた戦争しかねないですね。今の北朝鮮を参考にすると、当時の日本が少し理解できると思います。
過去の過ちだから正当化してはならないとか、悪くいうべきだという意見もありますが。
でも本当にそれだけでいいのでしょうか?
歴史の教科書や、その他の物語では…なんとなく「勝つこと」「勝つことの価値」を教えているようで、それなのに戦争反対するのは矛盾している。
太平洋戦争のような長期の戦いの場合、あれだけ頑張って戦って、そして負けたからと言って「だから戦争は悪い」という短絡的思考では、感情的にわだかまりが残って納得がいかないのでは?(納得がいかないと、人間は納得いくまで挑戦し続ける生き物ですから、勝つまで戦争し続けるということでもあります。私はそのことを危惧します)
負けた国だから、戦争の悲惨さがわかるということもありますが、今はそれだけで平和は語れない時代になりました。
事実、戦勝国でも矛盾が出て来て、良い流れを感じます。
戦争(武力行使)は、本来、文化水準の高い文明人には必要のない行動です。
勝っても負けてもみじめで、むなしさが残るだけ。
それを知るためには、記録の公開と情報開示、体験の伝承・継承、歴史の公平な研究、反省からの肯定的な未来観---などが必要ですが、
戦争のもとになる「争いの理由」が見つかれば、それを解消することで戦争を回避できるからです。
核爆弾も日本には必要ありません。
持っていると強くなった気がして、先進国の仲間入りした気分で、雑魚を蹴散らせる気がするかもしれませんが。戦いの勝敗を決める国力は、人間の思考力(アイディア)の方なので、兵器の性能は無関係ですから。
戦争は悪だといいますが、それは真剣に平和を考える人や被害を被った側からの主張で、
戦争によって利益を得たり肥え太った人達にとっては、戦争は「良かったこと」になっているのだという事実も知っておいていただきたい。
私はもともとマンガ家なので、さまざまな取材を通して、日本人の中に「戦争で得をした」とか「良かった」とかしゃべっている人達がたくさんいることを知りました。
今までは、戦争を恥じ生き残ったことを恥じる気持ちのある人達ほど、語らなかったりしましたが、被害にあった人達が集まって「戦争はこんなに人間を(地球も)悲惨にする」と体験談を伝え続けることが大事なのは、そういうことなのです。
日本人の中にも、戦争肯定者はたくさんいます。たとえば、戦争で生き残った中にもいますし、財閥や貴族などの優遇された人達も“得をした”連中ですから、私たちはあくまでも「事実」を認識しなければならないと思います。
そして、日本が大陸や南の島々に侵攻したのは、彼らを植民地支配から解放するためだったのだから、「太平洋戦争」は「大東亜戦争」であって、正義の戦争だったのだという主張があることも一つの史実として研究すべきことだと思います。ちゃんと証言をとって、数字で事実を示すべきでしょう。
侵略戦争を「解放戦争」だと偽って若者を戦場に送るやり方は、21世紀のイラク戦争とアメリカ兵も同じですから。兵士たちは、人民解放を信じて戦ったかもしれない(少なくとも一部の人は)。だとしたら、どこかに証拠が残っているはずです。
また、もし「植民地支配からの解放」が主たる目的の戦争だったなら、全国民が知っていたはずです。その痕跡が残っていない所を見ると、沖縄の集団自決を軍が指示したのかどうかという問題と同じになりそうです。
しかし、じっさい重要なのは結果の方ですが。
教科書問題をふくめて、史実を研究し伝えるならば、感情的な思想は抜きにして、箇条書きくらいのクールさで向き合わなければ、どこかに偏りがでると危惧します。
事実を認識した上で、実際あの時は「戦争しか方法がなかった」または「それしか方法がないと思い込んでいた」のですから、なぜそう思い込むことになったのか?を追究すべきです。
その当時、女性には選挙権がありませんでした。
女性には子宮という「宇宙とのアンテナ」がありますから、もし本気で戦争を悪だと認識していたら、違和感を感じて反対したでしょうが…反対したくても参政権はありませんから、ズルズルと命を粗末にする結末を迎えてしまったともいえます。
原爆(核爆弾)使用は、人類の恥ずべき行為ですが、それをアメリカ人が担ってくれたのは日本にとってある意味救いだったかもしれません。
アメリカがとるべき行動は(実際の目的は原爆の人体実験ですが)「戦争を早く終わらせるためという目的であっても、核爆弾を使ってしまったことは、結果を見ればまだまだ考慮の余地があることだったと言わざるを得ない」とでも言うべきでしょう。
そして私たちは確かに原爆の結果を見なければ、目が覚めなかったことも事実なので、過去の悲惨な体験を糧に(体験を担ってくれた方々に感謝しつつ)、二度と同じことが起こらないように、人間というものを教育し続ける必要があると思います。
当事者でない人間が、たんにあの戦争はいけないことだった、という否定的な思いで終わってしまっているとしたら、それは反省でもなんでもなくて罪悪感に酔って自傷行為を続けるようなもの。
気持ちいいかもしれませんが、なにも実を結んでいません。
本気で平和を実現する者として誤解を恐れずに言えば---
太平洋戦争で失った多くの命や悲惨な体験も、私たち地球人類の大いなる財産であり、それをもとに真の平和を追究し続けなければ、苦しんだ方々に申し訳ない---と考えます。
どんなことにも功罪があるように、戦争にも損と得があります。
(ノーベル物理学賞の田中氏は、その「得」の部分だけを抽出する研究で受賞したので、日本人はまた世界に誇れる業績を上げたといえますね)
本能に任せると---損の方が大きければ、やらず。得が大きければ、行動する。ということになります。それが追いつめられ切羽詰まると感情的になり、自暴自棄、損する方に向かいます。
たとえ「得」でも、目先の得でなく、将来・未来にまでつながるかどうかを見極め続けるのが、理性ある(知能ある)人間のやるべきことだと思います。
そして、太平洋戦争の唯一の功は、「追いつめられ制限された人間がどうなるかを知り、平和の大切さを実感したこと」になるべきでしょう。
戦争(問題解決のための武力行使)は回避できるのに、そのための努力はしない。
そのための教育もしない。
研究もしない。
ただ反対するだけ。
それではいくら平和を叫んでいても、絵に描いた餅。ふざけているとしか思えません。
自衛隊の人たちも可哀想です。
武器を扱う訓練を受けているのに、実際には使えず。なんとか使う口実をつくるために現場で命を張っていたり…。自国の戦士たちに、こんなみじめな思いをさせて良いわけありません。
存在を否定したり反対するなら、現実的な具体策を提案すべきで、自衛隊は最終的には災害救助を主とした活動組織へ移行できるようにすべきです。
段階をおって軍隊を縮小することもできるのに、外交力はつけない、交渉力は持たない。諸外国の言いなりになる。無計画にお金をばらまく。
あげくの果ては、「隣のC君も持ってるんだから」と核兵器を欲しがる。まるで、第二次世界大戦の時、もう航空機の時代なのに莫大なお金を使って巨大戦艦(大和・武蔵)を造って「男のロマンだ」とか寝言を言って、結局敗戦した連中とまったく同じ…
そんな政治しかできない国にしたのは、投票に行かなかった国民の責任です。
太平洋戦争の前に投票できなかった女性たちの意見が無視されたように、今回も投票に行かない人達の思いは無視されるでしょう。
(派遣切りやリストラ等で住民票のない人は、投票したくても選挙人名簿への登録がなくて連絡が来ない場合がありますが)
戦争は、武器商人や陰謀者、争いの好きな人たちにとって、とても意義のあるものなのです。他人の不幸がオイシイと感じる“インナーチャイルドの病んだ”人々(民族)が存在している。
しかも人口約1割のその連中が、世界の90%を牛耳ってリードしています。(みんなの銀行預金は武器商人の会社に投資され、今も罪無き子供たちを攻撃するミサイルが作られています)
戦争を必要とする連中が世界をリードしているから、いつまで経っても戦争や武力行使が無くならず、私たちの中の闘争本能を刺激され続けることになる。
日本が経済大国になっても、アメリカにカツアゲされているだけですから、戦争を助長するために利用され、決して地球の平和のために使われることはない。
そのことをきちんと認識するだけでも、対処がしやすくなりますね。
平和運動をするのなら、まず自国民にとっての平和の定義、そして地球のすべての人々にとっての「平和」の定義をすべきです。
といっても、これが意外とやっかいで---
南の島で仲良く暮らしている民族に対して、先進国は…やれ「もっと文明を輸入しろ」だの「電化製品を使え」だのと、それがあたかも幸せの象徴であるかのように押しつけて来ましたし、そこから平和が創れると思ったりしていたようですし。
だから、高次元のスピリチュアルメッセージでは、目指すところ
「人生は冒険と感動(喜怒哀楽)を楽しみ、愛(配慮)を表現すること」だと言われたのでした。
それは、
ひとり一人が、自分のできることで楽しみながら役割りを果たし、充実した人生を生きながら冒険もして、集団に貢献し感謝されながら、自己実現して成長し続けるという世界。
そういう人間は、充実しているから無意味に争わない。
本物のプライドがあるから、弱いものいじめはしない。
役割りを認識しているから、引き際もわかっている。
エレガントに行動するから武力に訴えない。
自信があるから、余裕がある。
それを確実にサポートしているのが、Angelingでありヴィーナス女神セミナーでもありますね(ちょっと自画自賛^^;)というのも、高次元のメッセージをそのままセミナーにしているからなので。
本気で戦争を止めさせたかったら、その方法は簡単です。私はそれを知っているので、地道に伝え続けて行きます。
私はたんに戦争が嫌いだからメッセージを伝えているのではなくて、もう必要ないことはやめましょうという意味と、戦士たちをこれ以上不名誉な戦いに追い込みたくないという女神の思いに駆られているのでした。
そうそう、実際問題として憲法九条を変えて核兵器を持ったとしても…
日本はすぐには戦争できません(笑)。
国鉄(JR)と電電公社(NTT)の解体によって、輸送網と通信網がズタズタにされているし、食糧もエネルギーも自給率がないから、戦争能力自体がないのです。(訓練された兵士も少ないし)
可能性があるとすれば、米軍に加わって参戦するくらいでしょうか。
戦闘機やイージス艦、核ミサイルとか武器を持ったらすぐ戦えるなんて思っているようじゃ、巨大戦艦ではしゃいでいた64年前と何ら思考が変わっていない。何度戦っても勝てませんねぇ。
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私は、基本「戦争を無くす」ために人類や人間の心理を研究して来たので、感情的な反戦運動や、いい加減な平和論や、効果のない戦争反対論や、口先だけの命の教育だとか、偏った歴史観やらは、すべて効果がないことから、本気ではない「=結果、むしろ戦争を煽っている。陰謀の一つである」とさえ感じます。
戦争について語る時には、「戦争という概念」「過去の戦争体験」「核爆弾や兵器の使用」などを一応分けて考えるべきだと思います。(争う時には、必ず何もかもがごちゃ混ぜになっている時なので)
今どき「何で戦争なんかやったの?」と聞く若者もいるようですが、そんな愚問、歴史の当事者として学ばないとまた戦争しかねないですね。今の北朝鮮を参考にすると、当時の日本が少し理解できると思います。
過去の過ちだから正当化してはならないとか、悪くいうべきだという意見もありますが。
でも本当にそれだけでいいのでしょうか?
歴史の教科書や、その他の物語では…なんとなく「勝つこと」「勝つことの価値」を教えているようで、それなのに戦争反対するのは矛盾している。
太平洋戦争のような長期の戦いの場合、あれだけ頑張って戦って、そして負けたからと言って「だから戦争は悪い」という短絡的思考では、感情的にわだかまりが残って納得がいかないのでは?(納得がいかないと、人間は納得いくまで挑戦し続ける生き物ですから、勝つまで戦争し続けるということでもあります。私はそのことを危惧します)
負けた国だから、戦争の悲惨さがわかるということもありますが、今はそれだけで平和は語れない時代になりました。
事実、戦勝国でも矛盾が出て来て、良い流れを感じます。
戦争(武力行使)は、本来、文化水準の高い文明人には必要のない行動です。
勝っても負けてもみじめで、むなしさが残るだけ。
それを知るためには、記録の公開と情報開示、体験の伝承・継承、歴史の公平な研究、反省からの肯定的な未来観---などが必要ですが、
戦争のもとになる「争いの理由」が見つかれば、それを解消することで戦争を回避できるからです。
核爆弾も日本には必要ありません。
持っていると強くなった気がして、先進国の仲間入りした気分で、雑魚を蹴散らせる気がするかもしれませんが。戦いの勝敗を決める国力は、人間の思考力(アイディア)の方なので、兵器の性能は無関係ですから。
戦争は悪だといいますが、それは真剣に平和を考える人や被害を被った側からの主張で、
戦争によって利益を得たり肥え太った人達にとっては、戦争は「良かったこと」になっているのだという事実も知っておいていただきたい。
私はもともとマンガ家なので、さまざまな取材を通して、日本人の中に「戦争で得をした」とか「良かった」とかしゃべっている人達がたくさんいることを知りました。
今までは、戦争を恥じ生き残ったことを恥じる気持ちのある人達ほど、語らなかったりしましたが、被害にあった人達が集まって「戦争はこんなに人間を(地球も)悲惨にする」と体験談を伝え続けることが大事なのは、そういうことなのです。
日本人の中にも、戦争肯定者はたくさんいます。たとえば、戦争で生き残った中にもいますし、財閥や貴族などの優遇された人達も“得をした”連中ですから、私たちはあくまでも「事実」を認識しなければならないと思います。
そして、日本が大陸や南の島々に侵攻したのは、彼らを植民地支配から解放するためだったのだから、「太平洋戦争」は「大東亜戦争」であって、正義の戦争だったのだという主張があることも一つの史実として研究すべきことだと思います。ちゃんと証言をとって、数字で事実を示すべきでしょう。
侵略戦争を「解放戦争」だと偽って若者を戦場に送るやり方は、21世紀のイラク戦争とアメリカ兵も同じですから。兵士たちは、人民解放を信じて戦ったかもしれない(少なくとも一部の人は)。だとしたら、どこかに証拠が残っているはずです。
また、もし「植民地支配からの解放」が主たる目的の戦争だったなら、全国民が知っていたはずです。その痕跡が残っていない所を見ると、沖縄の集団自決を軍が指示したのかどうかという問題と同じになりそうです。
しかし、じっさい重要なのは結果の方ですが。
教科書問題をふくめて、史実を研究し伝えるならば、感情的な思想は抜きにして、箇条書きくらいのクールさで向き合わなければ、どこかに偏りがでると危惧します。
事実を認識した上で、実際あの時は「戦争しか方法がなかった」または「それしか方法がないと思い込んでいた」のですから、なぜそう思い込むことになったのか?を追究すべきです。
その当時、女性には選挙権がありませんでした。
女性には子宮という「宇宙とのアンテナ」がありますから、もし本気で戦争を悪だと認識していたら、違和感を感じて反対したでしょうが…反対したくても参政権はありませんから、ズルズルと命を粗末にする結末を迎えてしまったともいえます。
原爆(核爆弾)使用は、人類の恥ずべき行為ですが、それをアメリカ人が担ってくれたのは日本にとってある意味救いだったかもしれません。
アメリカがとるべき行動は(実際の目的は原爆の人体実験ですが)「戦争を早く終わらせるためという目的であっても、核爆弾を使ってしまったことは、結果を見ればまだまだ考慮の余地があることだったと言わざるを得ない」とでも言うべきでしょう。
そして私たちは確かに原爆の結果を見なければ、目が覚めなかったことも事実なので、過去の悲惨な体験を糧に(体験を担ってくれた方々に感謝しつつ)、二度と同じことが起こらないように、人間というものを教育し続ける必要があると思います。
当事者でない人間が、たんにあの戦争はいけないことだった、という否定的な思いで終わってしまっているとしたら、それは反省でもなんでもなくて罪悪感に酔って自傷行為を続けるようなもの。
気持ちいいかもしれませんが、なにも実を結んでいません。
本気で平和を実現する者として誤解を恐れずに言えば---
太平洋戦争で失った多くの命や悲惨な体験も、私たち地球人類の大いなる財産であり、それをもとに真の平和を追究し続けなければ、苦しんだ方々に申し訳ない---と考えます。
どんなことにも功罪があるように、戦争にも損と得があります。
(ノーベル物理学賞の田中氏は、その「得」の部分だけを抽出する研究で受賞したので、日本人はまた世界に誇れる業績を上げたといえますね)
本能に任せると---損の方が大きければ、やらず。得が大きければ、行動する。ということになります。それが追いつめられ切羽詰まると感情的になり、自暴自棄、損する方に向かいます。
たとえ「得」でも、目先の得でなく、将来・未来にまでつながるかどうかを見極め続けるのが、理性ある(知能ある)人間のやるべきことだと思います。
そして、太平洋戦争の唯一の功は、「追いつめられ制限された人間がどうなるかを知り、平和の大切さを実感したこと」になるべきでしょう。
戦争(問題解決のための武力行使)は回避できるのに、そのための努力はしない。
そのための教育もしない。
研究もしない。
ただ反対するだけ。
それではいくら平和を叫んでいても、絵に描いた餅。ふざけているとしか思えません。
自衛隊の人たちも可哀想です。
武器を扱う訓練を受けているのに、実際には使えず。なんとか使う口実をつくるために現場で命を張っていたり…。自国の戦士たちに、こんなみじめな思いをさせて良いわけありません。
存在を否定したり反対するなら、現実的な具体策を提案すべきで、自衛隊は最終的には災害救助を主とした活動組織へ移行できるようにすべきです。
段階をおって軍隊を縮小することもできるのに、外交力はつけない、交渉力は持たない。諸外国の言いなりになる。無計画にお金をばらまく。
あげくの果ては、「隣のC君も持ってるんだから」と核兵器を欲しがる。まるで、第二次世界大戦の時、もう航空機の時代なのに莫大なお金を使って巨大戦艦(大和・武蔵)を造って「男のロマンだ」とか寝言を言って、結局敗戦した連中とまったく同じ…
そんな政治しかできない国にしたのは、投票に行かなかった国民の責任です。
太平洋戦争の前に投票できなかった女性たちの意見が無視されたように、今回も投票に行かない人達の思いは無視されるでしょう。
(派遣切りやリストラ等で住民票のない人は、投票したくても選挙人名簿への登録がなくて連絡が来ない場合がありますが)
戦争は、武器商人や陰謀者、争いの好きな人たちにとって、とても意義のあるものなのです。他人の不幸がオイシイと感じる“インナーチャイルドの病んだ”人々(民族)が存在している。
しかも人口約1割のその連中が、世界の90%を牛耳ってリードしています。(みんなの銀行預金は武器商人の会社に投資され、今も罪無き子供たちを攻撃するミサイルが作られています)
戦争を必要とする連中が世界をリードしているから、いつまで経っても戦争や武力行使が無くならず、私たちの中の闘争本能を刺激され続けることになる。
日本が経済大国になっても、アメリカにカツアゲされているだけですから、戦争を助長するために利用され、決して地球の平和のために使われることはない。
そのことをきちんと認識するだけでも、対処がしやすくなりますね。
平和運動をするのなら、まず自国民にとっての平和の定義、そして地球のすべての人々にとっての「平和」の定義をすべきです。
といっても、これが意外とやっかいで---
南の島で仲良く暮らしている民族に対して、先進国は…やれ「もっと文明を輸入しろ」だの「電化製品を使え」だのと、それがあたかも幸せの象徴であるかのように押しつけて来ましたし、そこから平和が創れると思ったりしていたようですし。
だから、高次元のスピリチュアルメッセージでは、目指すところ
「人生は冒険と感動(喜怒哀楽)を楽しみ、愛(配慮)を表現すること」だと言われたのでした。
それは、
ひとり一人が、自分のできることで楽しみながら役割りを果たし、充実した人生を生きながら冒険もして、集団に貢献し感謝されながら、自己実現して成長し続けるという世界。
そういう人間は、充実しているから無意味に争わない。
本物のプライドがあるから、弱いものいじめはしない。
役割りを認識しているから、引き際もわかっている。
エレガントに行動するから武力に訴えない。
自信があるから、余裕がある。
それを確実にサポートしているのが、Angelingでありヴィーナス女神セミナーでもありますね(ちょっと自画自賛^^;)というのも、高次元のメッセージをそのままセミナーにしているからなので。
本気で戦争を止めさせたかったら、その方法は簡単です。私はそれを知っているので、地道に伝え続けて行きます。
私はたんに戦争が嫌いだからメッセージを伝えているのではなくて、もう必要ないことはやめましょうという意味と、戦士たちをこれ以上不名誉な戦いに追い込みたくないという女神の思いに駆られているのでした。
そうそう、実際問題として憲法九条を変えて核兵器を持ったとしても…
日本はすぐには戦争できません(笑)。
国鉄(JR)と電電公社(NTT)の解体によって、輸送網と通信網がズタズタにされているし、食糧もエネルギーも自給率がないから、戦争能力自体がないのです。(訓練された兵士も少ないし)
可能性があるとすれば、米軍に加わって参戦するくらいでしょうか。
戦闘機やイージス艦、核ミサイルとか武器を持ったらすぐ戦えるなんて思っているようじゃ、巨大戦艦ではしゃいでいた64年前と何ら思考が変わっていない。何度戦っても勝てませんねぇ。
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