過去を書き換える
- 2020/09/14
- 02:24
メモとして。
よくスピリチュアルでは、
「過去・現在・未来の時間軸は、じつは今ここで起きている」と言う。
過去を認識する自分と、未来を認識する自分は、いまここ「現在」にしか居ないということであり、
いまこの文章を書いたり読んだりしているあなたも、
読んだ瞬間に過去になっているし、
未来だと思っていたイメージも、イメージした瞬間から過去だから…となって、
つまり現在しか扱えないという論理が成り立っていく。
そして、次に
「過去」だと思っている記憶、思い出じたい、本当にあったことなのか?という疑いがでてくる。
というのも、
過去は、確かになにかの記憶やイメージや感情として、脳や身体に影響しているけれど、
100%記憶のとおりかどうかは、じつは判らない。
なぜなら、
記憶は、時どき「書き換え」がおきて、どんどんアップデートして作られていくので
証拠の写真や動画でもないかぎり、行動は100%の記憶とは言えない。
もし証拠の映像が残っていたとして、
それに対して、感情(とそれに伴う体感覚)は、あくまでも自分の中のできごと(解釈)になっているし、
感情じたい、それまでに持っていた「価値観」によって自分で作りあげているから、
むしろすでに書き換えられているとも言える。
幼児期のできごとは、
夢の中のことでさえ、現実に感じたりする
周囲がウソをついていたら、騙されてしまう
「いや、私はたしかに虐待されて、身体に傷もある」と言うかもしれない。
気持ちはわかる
私だって、幼児期に親戚の集まりで親が「お宅は、長女(姉)も長男(弟)もいるから、
一人くらい親戚にあげても心配ないだろう」的な話をされていたのを聞き、
「私は捨てられる」という恐怖を味わった記憶があって、
それを
「本当にそういう話だったんですか?聞き間違いか、
その話自体ほんとうにあったかどうかわからないでしょ」と言われたときには、
傷ついてブチ切れましたから。
先に、自分自身の過去やインナーチャイルドをじゅうぶん癒してからでないと、過去には触れない方がいいとも言える。
でも、じゅうぶん癒されたあとに、落ちついて思い返してみると、
たしかに、その話があったからといって「捨てられると思って怖かった」のは、当時の状況から判断した一つの解釈でしかない、とは言える。
間違っているとか、ダメだとかではなく、そう思ってしまうような環境があって、影響を受けていた。
そこで、誰かに確認できるほどの勇気はなかったから、
そこから、自分の記憶をアップデートし続けてしまった。
そうなると、まわりのほかの情報も、その「記憶」を裏付けしたり強化するために使われてしまう。
じっさいには、その「過去」や「記憶」によって、引き寄せが起きるので、さらに「悲しい過去」がリアルに繰り返されていく。
自分の「インナーチャイルドのセッション」で、かなり癒されていたけれど、
脳の認識の盲点を探求するブレイクスルーテクノロジーコース(BTC)に参加するまでは、
まだトラウマが「自己犠牲の器」として残っていたとは気づかなかった。
スピリチュアルメッセージで、
「過去」は「過去」だから、「今現在」や「未来」に持ち越さなくていいし、
切り離すことができると聞いていたけれど、
まだ実感をともなって理解できていなかった。
ハイアーセルフ・コンジャクションの瞑想から、
自分のハイアーセルフとどんどん対話するようになって、
「過去」を「過去」として切り離し、
ことによっては「書き換える」作業をしはじめている。
それは、「カルマを消す」こととはまた違っていて、
(もちろん「カルマ」自体を悪いものだとか怖いものだと捉えないスタンスから)
ただ「その感情を持っている」ということに「責任を持つ(責任者は自分自身だ)」となって、
過去の「記憶」や出来事にたいして、ポジティブな視点から解釈しなおしている感じ。
悲劇だと思っていたエピソードを、勝利の物語として言い直していったり。
「過去」は、「可能性」のビジョンの一つであり、
そこを通って来たかもしれないが、
そこにいたわけではない。
ーーー
この記事は、後に加筆する予定です。
byリエル
よくスピリチュアルでは、
「過去・現在・未来の時間軸は、じつは今ここで起きている」と言う。
過去を認識する自分と、未来を認識する自分は、いまここ「現在」にしか居ないということであり、
いまこの文章を書いたり読んだりしているあなたも、
読んだ瞬間に過去になっているし、
未来だと思っていたイメージも、イメージした瞬間から過去だから…となって、
つまり現在しか扱えないという論理が成り立っていく。
そして、次に
「過去」だと思っている記憶、思い出じたい、本当にあったことなのか?という疑いがでてくる。
というのも、
過去は、確かになにかの記憶やイメージや感情として、脳や身体に影響しているけれど、
100%記憶のとおりかどうかは、じつは判らない。
なぜなら、
記憶は、時どき「書き換え」がおきて、どんどんアップデートして作られていくので
証拠の写真や動画でもないかぎり、行動は100%の記憶とは言えない。
もし証拠の映像が残っていたとして、
それに対して、感情(とそれに伴う体感覚)は、あくまでも自分の中のできごと(解釈)になっているし、
感情じたい、それまでに持っていた「価値観」によって自分で作りあげているから、
むしろすでに書き換えられているとも言える。
幼児期のできごとは、
夢の中のことでさえ、現実に感じたりする
周囲がウソをついていたら、騙されてしまう
「いや、私はたしかに虐待されて、身体に傷もある」と言うかもしれない。
気持ちはわかる
私だって、幼児期に親戚の集まりで親が「お宅は、長女(姉)も長男(弟)もいるから、
一人くらい親戚にあげても心配ないだろう」的な話をされていたのを聞き、
「私は捨てられる」という恐怖を味わった記憶があって、
それを
「本当にそういう話だったんですか?聞き間違いか、
その話自体ほんとうにあったかどうかわからないでしょ」と言われたときには、
傷ついてブチ切れましたから。
先に、自分自身の過去やインナーチャイルドをじゅうぶん癒してからでないと、過去には触れない方がいいとも言える。
でも、じゅうぶん癒されたあとに、落ちついて思い返してみると、
たしかに、その話があったからといって「捨てられると思って怖かった」のは、当時の状況から判断した一つの解釈でしかない、とは言える。
間違っているとか、ダメだとかではなく、そう思ってしまうような環境があって、影響を受けていた。
そこで、誰かに確認できるほどの勇気はなかったから、
そこから、自分の記憶をアップデートし続けてしまった。
そうなると、まわりのほかの情報も、その「記憶」を裏付けしたり強化するために使われてしまう。
じっさいには、その「過去」や「記憶」によって、引き寄せが起きるので、さらに「悲しい過去」がリアルに繰り返されていく。
自分の「インナーチャイルドのセッション」で、かなり癒されていたけれど、
脳の認識の盲点を探求するブレイクスルーテクノロジーコース(BTC)に参加するまでは、
まだトラウマが「自己犠牲の器」として残っていたとは気づかなかった。
スピリチュアルメッセージで、
「過去」は「過去」だから、「今現在」や「未来」に持ち越さなくていいし、
切り離すことができると聞いていたけれど、
まだ実感をともなって理解できていなかった。
ハイアーセルフ・コンジャクションの瞑想から、
自分のハイアーセルフとどんどん対話するようになって、
「過去」を「過去」として切り離し、
ことによっては「書き換える」作業をしはじめている。
それは、「カルマを消す」こととはまた違っていて、
(もちろん「カルマ」自体を悪いものだとか怖いものだと捉えないスタンスから)
ただ「その感情を持っている」ということに「責任を持つ(責任者は自分自身だ)」となって、
過去の「記憶」や出来事にたいして、ポジティブな視点から解釈しなおしている感じ。
悲劇だと思っていたエピソードを、勝利の物語として言い直していったり。
「過去」は、「可能性」のビジョンの一つであり、
そこを通って来たかもしれないが、
そこにいたわけではない。
ーーー
この記事は、後に加筆する予定です。
byリエル
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