新しい(本来の)経営者のあり方
- 2020/11/01
- 14:39
新型コロナの影響もあって、これまでの人間の考え方や価値観の大変革が起きていて、
新しい(宇宙の法則的な意味で)本来のものの捉え方に気づき、
そいういう行動を取れる人が幸せになっていく時代になりました。
スピリチュアルな立場からはどう見えるのか。
ーー
経済の低迷のなか、雇用問題でこんな発言が?
ものすごーく単純に考えて、
経営者が、
無能な従業員や、ほかの社員に迷惑をかけたり会社の名前をつかって犯罪にかかわったりする社員を訴えたり解雇したくなるのは分かる。
その時に、組合が強くて偏った判断をされて、最終的に会社が立ち行かなくなったら、
社員全員にとっても死活問題だから、
「組織が腐敗しないように、自己利益のためだけに動く人々を抑えて、判断を間違えないようにしたい」のは、リーダーとして当たりまえのことでもある。
だから、
「雇った人が会社の迷惑になるなら、正当な手続きですみやかに対処(解雇)できた方がいいのではないか」という考えにいたるなら理解できる。
しかし、竹中平蔵の考えは、とても重要な視点を忘れている。
親が子供にたいして、優位な立場をもつように、
企業は、社員や従業員にたいして、もともと絶対的優位な立場にあったから、「組合」を作って対等にしたのだということ。
親が絶対的優位な時代は、
子どもは親の所有物で人権はなかったから、
たまたま親の愛情が安定していた家庭でなければ、
子どもは労働力であり、売買するものであり、ストレスのはけ口であり、教育は親にとって必要なら受けさせ、
邪魔なら生殺与奪の権利が親にあった。
子どもの人権宣言によって、立場が明確になるまでは。
労働者も似たようなもので、
農家で食べ物(作物)を作り、加工や道具も調達できるくらいの自給自足でないかぎり、
借地の地主に年貢をおさめたり、暴徒から自分たちを守るために用心棒を雇ったり、
生き延びるための努力が必要だった。
日本は、個人戦より団体戦に長けていたので、
社会が国際化したときには、ファミリー化(家族のように守り合って進む)ことで
世界と渡り合ってきた。
企業のリーダーと従業員は、家族か一族のような感覚を持っていたので、
「理念」や「目標」のために助けあったり意見を出し合ったりしていれば理想的だった。
しかし、
人間という生き物(というか、物理の法則で)は、一つの方向に進み始めると、どんどん勢いがついて途中で変えられなくなるものなので、
いつでも自分たちが最初にかかげた「理念」や「存在意義」に沿っているか、
「理念」に沿って、時代に合わせた「目標」を変える必要がある。
家族のように和気藹々(わきあいあい)だったはずが、
自由に職種を選べなかったり、移動できなかったり、
自分の才能に合わないことなのに、人手が足りないからという理由でストレスを抱えさせられたり、
過去の「封建主義的な家族」のようになってしまい、上司が暴君なのを止められなかったり。
言いにくいことでもプラス思考で話し合えるような環境がなかったりしたら、
派遣制度でエージェントに相談する形は助かるわけで。
「理念」や「存在意義」は、松居桃樓師に言わせると、
宇宙の始まりから終わりまでに通用するものか、
100年後の世界まで通用するものか、
20〜30年後の社会まで通用するものか、
—など、目先のものではないことが重要。
問われているのは、働き方の方ではなくて、
雇う側の経営理念の方かもしれない。
竹中平蔵のビジョンとは何だろうか?
そこで働く人々は、どんな笑顔と満足感で健康な人生を過ごしているのだろうか?
病人やケガ人でも生き生きと過ごせているだろうか?
しょうがいを持った人々も大切にされ生き生きと活躍しているだろうか?
それとも…
病人もケガ人も殺処分されて、ひたすら健康で元気な人たちだけが働いているだろうか?
一部の人々だけが笑顔で、その他の人たちは希望を失ってあきらめの世界に生きていないだろうか?
高齢者やしょうがい者は迫害されたり人体実験にされたりしていないだろうか?
そういう社会では、元気で豊かな人でさえ、心の奥には「いつ処分されるかわからない」という不安を抱えて不健康に生きることになる。
不健康な生き方は、いくらでも(わりと簡単に)できるけれど、
今の21世紀の文明文化の世界では、健康で幸せでお互いに助け合う生き方ができるだけの情報があふれている。
どちらを選ぶかどうかの問題なのだ。
経営者として、リーダーとして
スピリチュアルメッセージを書くと、
ちょうどマンガ「鬼滅の刃(きめつのやいば)」のアニメ映画「無限列車編」に登場するキャラクター煉獄(れんごく)杏寿郎が母親から言われることば
「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。
天から賜りし力で、人を傷つけること、私服を肥やすことは許されません。
弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。
責任を持って果たさなければならない使命なのです」が参考になる。
(ここでは、強く生まれるは体力や頭脳のことを指していますが、
生まれ持った才能、環境としての財産、人よりも優れた感覚は「賜物(たまもの)」として含まれます)
私は、才能発見カウンセラーの荒木次也師のもとで学んだので、
どんな長所や能力でも「才能」として生かすことをアドバイスしていますから、
これは誰にでもあてはまる言葉になります。
経営者としては、
かかわった人々を豊かにすること(お互いに)
自分自身とともに、雇った人々を豊かにすること
最初から、そういう理念を共有すること
リストラをしてなんとか会社を維持するのもわかるけれど、
(次の職場につなぐサポートをしている会社は多いけれど)
失業して希望を失った人々が増えてしまうと、自暴自棄な犯罪行為も増えることになり、
最終的に良い結果とは言えなくなる。
これは、政治の問題でもあるけれど、
一人ひとりが考えるべきことでもあり、
リーダーは多くの人に影響を与える立場だから、
結果や未来のことを考慮して行動と決断(選択)をしなければならない。
(どんな結果になろうと、その影響をうけるのは自分だということ)
太平洋戦争のころ、
日本は関東大震災と世界経済恐慌で、地球の大規模な戦争に一緒に進んでいったけれど、
今度はどういう選択をするのか。
スピリチュアルメッセージでは、
人に仕事を与えて、収入を持ってもらう支援が必要。
その人にできること、その人の能力を仕事にして、生活費(物々交換でも良い)が得られれば、人は生きがいと安心を得られるから—とのことだった。
それが世界平和への道の一つ。
とくに2020年からは、
「その人がラクラクとできることで、他の人の助けになることを仕事にする」
というメッセージが来ているので。
若者が希望を持って進めるように育てるのが大人の役目で、
自立できるように責任者(自分が作り出している世界)として成長するように導くのが先輩の役目だったのを、
見事なくらい忘れさせてる気がする。
もしワザと忘れたフリをしているなら、もう通用しないことを見せて目を覚まさせてあげないと。
ちなみに、
「持っている才能を生かしてたのしく仕事をして豊かになる」という価値観は、
これまで頑張って努力して得た能力で稼いできた人からは、とても腹の立つことらしいので、
そういう人を癒して本来の道に進んでもらったり、
本来の道に進む人のジャマをしないようにさせるのが、弥勒菩薩系の私の役目。
(2020.11.1)
新しい(宇宙の法則的な意味で)本来のものの捉え方に気づき、
そいういう行動を取れる人が幸せになっていく時代になりました。
スピリチュアルな立場からはどう見えるのか。
ーー
経済の低迷のなか、雇用問題でこんな発言が?
パソナってスゲー会社だな
— 君に届け!滑稽新聞 (@akasakaromantei) October 31, 2020
pic.twitter.com/IZksdZ1vZN
ものすごーく単純に考えて、
経営者が、
無能な従業員や、ほかの社員に迷惑をかけたり会社の名前をつかって犯罪にかかわったりする社員を訴えたり解雇したくなるのは分かる。
その時に、組合が強くて偏った判断をされて、最終的に会社が立ち行かなくなったら、
社員全員にとっても死活問題だから、
「組織が腐敗しないように、自己利益のためだけに動く人々を抑えて、判断を間違えないようにしたい」のは、リーダーとして当たりまえのことでもある。
だから、
「雇った人が会社の迷惑になるなら、正当な手続きですみやかに対処(解雇)できた方がいいのではないか」という考えにいたるなら理解できる。
しかし、竹中平蔵の考えは、とても重要な視点を忘れている。
親が子供にたいして、優位な立場をもつように、
企業は、社員や従業員にたいして、もともと絶対的優位な立場にあったから、「組合」を作って対等にしたのだということ。
親が絶対的優位な時代は、
子どもは親の所有物で人権はなかったから、
たまたま親の愛情が安定していた家庭でなければ、
子どもは労働力であり、売買するものであり、ストレスのはけ口であり、教育は親にとって必要なら受けさせ、
邪魔なら生殺与奪の権利が親にあった。
子どもの人権宣言によって、立場が明確になるまでは。
労働者も似たようなもので、
農家で食べ物(作物)を作り、加工や道具も調達できるくらいの自給自足でないかぎり、
借地の地主に年貢をおさめたり、暴徒から自分たちを守るために用心棒を雇ったり、
生き延びるための努力が必要だった。
日本は、個人戦より団体戦に長けていたので、
社会が国際化したときには、ファミリー化(家族のように守り合って進む)ことで
世界と渡り合ってきた。
企業のリーダーと従業員は、家族か一族のような感覚を持っていたので、
「理念」や「目標」のために助けあったり意見を出し合ったりしていれば理想的だった。
しかし、
人間という生き物(というか、物理の法則で)は、一つの方向に進み始めると、どんどん勢いがついて途中で変えられなくなるものなので、
いつでも自分たちが最初にかかげた「理念」や「存在意義」に沿っているか、
「理念」に沿って、時代に合わせた「目標」を変える必要がある。
家族のように和気藹々(わきあいあい)だったはずが、
自由に職種を選べなかったり、移動できなかったり、
自分の才能に合わないことなのに、人手が足りないからという理由でストレスを抱えさせられたり、
過去の「封建主義的な家族」のようになってしまい、上司が暴君なのを止められなかったり。
言いにくいことでもプラス思考で話し合えるような環境がなかったりしたら、
派遣制度でエージェントに相談する形は助かるわけで。
「理念」や「存在意義」は、松居桃樓師に言わせると、
宇宙の始まりから終わりまでに通用するものか、
100年後の世界まで通用するものか、
20〜30年後の社会まで通用するものか、
—など、目先のものではないことが重要。
問われているのは、働き方の方ではなくて、
雇う側の経営理念の方かもしれない。
竹中平蔵のビジョンとは何だろうか?
そこで働く人々は、どんな笑顔と満足感で健康な人生を過ごしているのだろうか?
病人やケガ人でも生き生きと過ごせているだろうか?
しょうがいを持った人々も大切にされ生き生きと活躍しているだろうか?
それとも…
病人もケガ人も殺処分されて、ひたすら健康で元気な人たちだけが働いているだろうか?
一部の人々だけが笑顔で、その他の人たちは希望を失ってあきらめの世界に生きていないだろうか?
高齢者やしょうがい者は迫害されたり人体実験にされたりしていないだろうか?
そういう社会では、元気で豊かな人でさえ、心の奥には「いつ処分されるかわからない」という不安を抱えて不健康に生きることになる。
不健康な生き方は、いくらでも(わりと簡単に)できるけれど、
今の21世紀の文明文化の世界では、健康で幸せでお互いに助け合う生き方ができるだけの情報があふれている。
どちらを選ぶかどうかの問題なのだ。
経営者として、リーダーとして
スピリチュアルメッセージを書くと、
ちょうどマンガ「鬼滅の刃(きめつのやいば)」のアニメ映画「無限列車編」に登場するキャラクター煉獄(れんごく)杏寿郎が母親から言われることば
「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。
天から賜りし力で、人を傷つけること、私服を肥やすことは許されません。
弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。
責任を持って果たさなければならない使命なのです」が参考になる。
(ここでは、強く生まれるは体力や頭脳のことを指していますが、
生まれ持った才能、環境としての財産、人よりも優れた感覚は「賜物(たまもの)」として含まれます)
私は、才能発見カウンセラーの荒木次也師のもとで学んだので、
どんな長所や能力でも「才能」として生かすことをアドバイスしていますから、
これは誰にでもあてはまる言葉になります。
経営者としては、
かかわった人々を豊かにすること(お互いに)
自分自身とともに、雇った人々を豊かにすること
最初から、そういう理念を共有すること
リストラをしてなんとか会社を維持するのもわかるけれど、
(次の職場につなぐサポートをしている会社は多いけれど)
失業して希望を失った人々が増えてしまうと、自暴自棄な犯罪行為も増えることになり、
最終的に良い結果とは言えなくなる。
これは、政治の問題でもあるけれど、
一人ひとりが考えるべきことでもあり、
リーダーは多くの人に影響を与える立場だから、
結果や未来のことを考慮して行動と決断(選択)をしなければならない。
(どんな結果になろうと、その影響をうけるのは自分だということ)
太平洋戦争のころ、
日本は関東大震災と世界経済恐慌で、地球の大規模な戦争に一緒に進んでいったけれど、
今度はどういう選択をするのか。
スピリチュアルメッセージでは、
人に仕事を与えて、収入を持ってもらう支援が必要。
その人にできること、その人の能力を仕事にして、生活費(物々交換でも良い)が得られれば、人は生きがいと安心を得られるから—とのことだった。
それが世界平和への道の一つ。
とくに2020年からは、
「その人がラクラクとできることで、他の人の助けになることを仕事にする」
というメッセージが来ているので。
若者が希望を持って進めるように育てるのが大人の役目で、
自立できるように責任者(自分が作り出している世界)として成長するように導くのが先輩の役目だったのを、
見事なくらい忘れさせてる気がする。
もしワザと忘れたフリをしているなら、もう通用しないことを見せて目を覚まさせてあげないと。
ちなみに、
「持っている才能を生かしてたのしく仕事をして豊かになる」という価値観は、
これまで頑張って努力して得た能力で稼いできた人からは、とても腹の立つことらしいので、
そういう人を癒して本来の道に進んでもらったり、
本来の道に進む人のジャマをしないようにさせるのが、弥勒菩薩系の私の役目。
(2020.11.1)
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