行動が信念をつくる
- 2010/12/21
- 23:57
行動が信念をつくる--というのは、自己啓発系では当たりまえのお話しだと思いますが、それに気づく出来事があったので参考までに。
たとえば--
高価な食器やカップを買ったときや贈られたとき--
家に小さな子どもや壊す人がいるときは、「使うのもったいない。これもまたすぐ壊されてしまう」と感じたりして、しまっておく。よそゆきのように、お客様が来たとき用とか。
それはそれで、実際の行動としては当たりまえかなと思います。
ところが、そういう状況が過ぎたのに、ついつい「壊すともったいない」という価値観だけが残って仕舞っておくと…その行動が別な価値観を作りだしたりします。
→もったいない
→自分が使うのはもったいない
→自分にはそんな価値はない
→だから、自分には良いもの高価な物は与えない
→自分は貧しくて当たりまえ
→豊かさが受け取れない
---という信念が作られたりします。
長期間かかって作られる価値観なので、それが自分の信念だと気づかない場合もあります。
何かを値切るとき--
自分の生活の中で重要性がないとか、
それがあきらかに「その金額の価値はないだろう」というものならともかくですが。
予算オーバーだから負けて欲しい、とか
なんか安く手に入れた方が得した気分になる、とか
そういう感じ方は危険だということが解って来ました。
安く手に入れるというのは、自分がそれだけ対価を惜しむということですから、その対象(物やサービス)はそれだけ価値の低い物ということになります。
または、自分の価値が低いから(今後の未来に支払う能力がないから)対価を安くして欲しい、ということになります。
この行動を続けていると、やっぱりモノの価値を見失って
→手に入れた自分の価値を見失う
→豊かさを失う
→貧しくなって、ますます安価な物を求める
→さらに自分の価値を見失う
--という信念のスパイラルになるわけです。
弥勒如来のメッセージでは、
L;「得した気分になるから値切ると、結局はたがいに貧しくなる」とのこと。
R;「え?でも大阪とか関西の人は値切るのが文化になってますよね?」と聞いたら、
L;「結果、大阪府は財政破綻しただろう?」と一蹴されてしまいました。
もともとの目的がずっと掲げられていれば、途中からの信念の退化にはならなかったかも。
だから、「節約する」というのが「勿体ないから」=「ものがその価値を全うできるようにする」ということなら掲げておくべきで、
その初心が忘れられてしまった先に--もったいない→自分には価値がない--という誤解が起きていたんですね。
L;「お金のためだけに働く人間は最低だが、お金を受け取れない人間は最悪だ」
「(お金を)受け取る人も、渡す人も、対等でなければならない」というメッセージが。
(以上、とりあえず。記事は追加があるかも)
~*~*~ 愛と感謝をこめて ~*~*~
お読みいただきありがとうございます。掲載記事は、さらに詳しい内容を書籍・CD・DVD等で頒布する予定です♪
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高価な食器やカップを買ったときや贈られたとき--
家に小さな子どもや壊す人がいるときは、「使うのもったいない。これもまたすぐ壊されてしまう」と感じたりして、しまっておく。よそゆきのように、お客様が来たとき用とか。
それはそれで、実際の行動としては当たりまえかなと思います。
ところが、そういう状況が過ぎたのに、ついつい「壊すともったいない」という価値観だけが残って仕舞っておくと…その行動が別な価値観を作りだしたりします。
→もったいない
→自分が使うのはもったいない
→自分にはそんな価値はない
→だから、自分には良いもの高価な物は与えない
→自分は貧しくて当たりまえ
→豊かさが受け取れない
---という信念が作られたりします。
長期間かかって作られる価値観なので、それが自分の信念だと気づかない場合もあります。
何かを値切るとき--
自分の生活の中で重要性がないとか、
それがあきらかに「その金額の価値はないだろう」というものならともかくですが。
予算オーバーだから負けて欲しい、とか
なんか安く手に入れた方が得した気分になる、とか
そういう感じ方は危険だということが解って来ました。
安く手に入れるというのは、自分がそれだけ対価を惜しむということですから、その対象(物やサービス)はそれだけ価値の低い物ということになります。
または、自分の価値が低いから(今後の未来に支払う能力がないから)対価を安くして欲しい、ということになります。
この行動を続けていると、やっぱりモノの価値を見失って
→手に入れた自分の価値を見失う
→豊かさを失う
→貧しくなって、ますます安価な物を求める
→さらに自分の価値を見失う
--という信念のスパイラルになるわけです。
弥勒如来のメッセージでは、
L;「得した気分になるから値切ると、結局はたがいに貧しくなる」とのこと。
R;「え?でも大阪とか関西の人は値切るのが文化になってますよね?」と聞いたら、
L;「結果、大阪府は財政破綻しただろう?」と一蹴されてしまいました。
もともとの目的がずっと掲げられていれば、途中からの信念の退化にはならなかったかも。
だから、「節約する」というのが「勿体ないから」=「ものがその価値を全うできるようにする」ということなら掲げておくべきで、
その初心が忘れられてしまった先に--もったいない→自分には価値がない--という誤解が起きていたんですね。
L;「お金のためだけに働く人間は最低だが、お金を受け取れない人間は最悪だ」
「(お金を)受け取る人も、渡す人も、対等でなければならない」というメッセージが。
(以上、とりあえず。記事は追加があるかも)
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