殺人は許されるのか?
数年前までは危険だった情報公開が可能になり、2011年に入ってからはいよいよ流れが早くなって来ましたね。
引き寄せの法則を使ってオーダーすると、叶ってすぐに形になることが多くなっているというご報告も、よく聞くようになりました♪


今、スピリチュアルをはじめた人たちはご存知ないかもしれませんが、ちょっと前までは「人生は修行だ」「魂を磨け」「スピリチュアルでお金を受け取ってはいけない」「人類には原罪がある」「人は罪深い」「欲を捨てろ」…などなど、本気で言われていたんですよ。
 まぁ、今でも、制限された古い価値観の人々は迷いの中にいるわけですけど、それはご本人のチャレンジですから、一緒に迷ってもいいしさらに高次元に目覚めてもいいし、それは魂の自由選択です。
ここでは、情報制限をどんどんはずして波動の高い世界とつながって、より良く生き、物質世界も充実させるという意図で活動する人のために必要なメッセージをお伝えしていますので、さらに公開できる範囲を書くことになりました。
例によって(笑)、記事にはさらに情報追加されることがあります。そしてまだ質疑応答の時間がないため、詳細の解説は対面のセッション等でお願いいたします。

「自分の責任で生きる」
これを聞いて当たり前だよと思う人は、まず自分自身が本当にそうであるかを確認してくださいね。自分の人生を100%責任を負って生きているなと確認できたら、ほかの人々を導いてあげてください。
なぜなら、今、ほとんどの日本人は、自分の責任で生きていないからです。
それが解るのは、自分の責任をきちんと負えない代表が国会や、政治活動、官僚、司法の中にいて、問題を起こしているのに、それを国民が弾劾することができていないからです。
国民が、自分の選んだ代表の言動に責任を持って選挙に行っていたら、こういう現実にはならないでしょうし、親が責任を持って子供たちを指導していれば、こういう選挙民にはならないはずだからです。
自分の身体の健康に責任を持っていたら、食べるものや環境の汚染に気をつけるはずですし、安全でない食べ物を流通させる企業は滅んでいるはずです。

「自分の責任で生きる」というのは、自分の言動(言ったこと、したこと、思ったこと)の結果を、自分が受け取って体験し、感想・考察を持ち、感謝し、次に対処する、ということ。
なので、気に入らない体験を受け取った場合は、次はより良い結果にするために、言動を変えていくということになります。
-たとえば、
自分が気に入らない相手を殴ったら、殴り返された…など。殴り合いがしたかったら、その選択は正しいと言えますが、目的が相手を制することなら、もっとエレガントな方法もあったかもしれません。
自分が言ったことで相手が傷ついたら、「ごめんね」と謝ることかもしれませんし、「そういう意味じゃないよ」と誤解を解くことかもしれません。
気づきを与えてくれた相手へ「ありがとう」と感謝することも必要です。


できるだけ、倫理的・道徳的に調和した言動をとることが理想ですが、
何かを行動しないと、その結果を知ることはできませんから、「人生には経験が必要」ということになりますが、いつも同じ失敗をする必要はないし、
どんどん目的にかなった行動を選択することが大事だと思われます。
もし失敗しても、宇宙や神様は怒りませんから、まずは責任を取る(結果を受け取る)ことができればいいのです。
もし、何をしたら良いのか選択が判らなかったら、成功している人に聞くのも一つですし、宇宙や自分の魂に聞くのが一番です。
スピリチュアルワーカーの利点は、そこで「引き寄せの法則」を使うことができることですね。「魂の目的に叶った、最善の方法が解りました。実行できました、感謝します」とオーダーできますので。

スピリチュアル・メッセージでは、神さまは
G:「この宇宙では、責任を負う限り、何をするのも許されている」と言っていました。

「自由と責任」の関係ですね。
この意味は、自分が結果の責任を負う限りにおいて、人類は何を選択しどんな体験をするのかも自由」ということになります。
この場合の「責任をとる」というのは、結果を真摯に受けとり、もし不都合があったら「元どおりにする」か「以前よりも良くする」の【等価交換】のことだそうです。


「自由には、責任がともなう」のは、あたりまえのことですね。
でも、どうやらこの当たり前のことがわからずに、「自由というのは、結果を受け取らないこと。責任を負わずに、逃げてしまうこと。無責任に行動しても大丈夫な状態」と思い込んでいる人もいるようです。
責任を負い、結果を受け取ることが出来ずに、自由がなくて苦しんでいる人達もいます。
「自由がなくて苦しむ」という状況は、=「責任を負っていない」=「何かに依存している」「自分の責任以外のものまで背負っている」などの可能性がありますから、そこを解消できれば、自由が手に入ります。

たとえば、
子どもには自由はありません。それは、まだ人生の責任や社会的な責任が負えないから、親が肩代わりをしているから、親(責任者)の言うことを聞かなければならないわけです。
これは、決定権を親に譲って、依存した状態です。(子どもだから、ある程度、当然と言えます)
会社などの特定の場所でも、「会議や上司の決定に従う」という場合があります。決定権を持っている人が責任者ですから、部下は命令や指令に従う立場で、自由がありません。(ここでは、「自分はこの会社のルールに従う」という自分の選択の責任を負います)
「言論の自由」というのは、記事の真偽の責任や、記事を出した後の展開の責任を負うということでもあります。


ところが、大人になっても、人生の決定権を誰かにゆだね、依存した状態でいる人もいます。それでは「自由がない」ので、不満になると思います。
子どもの頃から「責任を負う」ということが解っていれば、最初は未熟かもしれなくても、成長するにつれてどんどん「自由」を獲得していけるということになります。

子どもを育てる時、親や大人たちも、この「責任を負う」ということをベースにして考えれば、ブレることはありませんね。
-たとえば、
子どもが火遊びしていけないのは、万が一の火事の時に、死ぬかもしれませんし怪我をするかもしれませんし、周りの人々に迷惑をかけるかもしれない。その結果の責任を負うことが大変だから。親としてはそういう人生を味わわせたくないわけです。
子どもにお小遣いを制限するのは、将来たくさんのお金を稼いでも、ムダに使わないようにするため。場合によっては、預けた銀行から武器製造会社に投資してしまい、戦争に加担してしまわないためかもしれません。

子どもに責任を取らせないと、将来責任を負わないで借金ばかりしたり、後先を考えずに行動したりすることになるわけです。
例え話はほかにもたくさんありますが、このへんにして…

子どもが欲しがるものなら、喜ばせたくて何でも与えたい気持ちがあっても、それを我慢させるのは、親心。その基準は「子ども(または親ぐるみで)責任を負えるかどうか?」だそうです。
ペットを飼いたいのであれば、ペットが死ぬまで面倒を見る。
TVやゲームを買いたいのであれば、その使い方やメンテナンス、電気代、処分するときのことまで考えて、責任を負う…ということだそうです。話し合って決定したこと(約束)を守るのが子どもの責任。守らせるのが親(保護者)の責任ということ。
失った悲しみをじゅうぶんに味わい、次にどうしようかと考察し、さらに良い状況を創造する、という責任もあります。


だから、企業がモノを作るときも、最後の処分(土や自然に還す)までを考えていないとならないわけです。
政治家は、自分たちがつくった法律や制度によって起きる結果の責任を負って、人生を過ごさなければならない。だから、最初からその覚悟で議論するわけです。
責任を負わない人のことを「無責任」といいますね。本来なら、この人には「自由」はないはずです。それをもし「自由」にしていたら、それを許した人の責任になります。
相手の責任を背負ってあげてしまい、相手が自由になるチャンスを奪ったら、その行いの責任もとらされることになります。

子どものしつけから、政治・経済にいたるまで、幸せに発展している世界は、この「責任と自由」がバランス良く実行されていて、逆に責任を負わない人々は問題を抱えてしまうということ。
本来なら、倫理的にも道徳的にも、自分も相手も困らないように、思いやりをもった言動をするべきですが、今は政治も経済もそれを無視して進んでいます。政治と経済は、倫理・道徳が不要なのでしょうか。

「引き寄せの科学法則」を知っている人なら、鏡の法則や因果応報のオーダーが働いているのが解りますから、
「自分の責任を負わない人」には「無責任な人」がやって来て、こちらの「自由」が奪われます。

さてここで、賢明な人には疑問がわくと思います。
「この宇宙では、責任を負う限り、何をしても許されている(自由)」
ということは、殺人のように、だれかを苦しめたり命を奪うことについてはどうなのだろうか?と。
もうお解りの人もいるかもしれませんが念のため。これは誰も言っていなかったので、これまでAngeling講座でしかお伝えできない内容でした。
もちろん、宇宙のルールは、どこにでも何にでも通用しなければなりません。
「責任を負う限り、許されています」

「殺人」という内容によりますが、「相手の命を奪う」という状況のことをさして説明します。人の命を失わせるということは、相手の人生(権利、成長の可能性、存在価値)を奪うということになります。
この場合、犯罪としての責任を負う(償う)ということは、「元どおりにする」か「前より良くする」か「まったく同じ痛みを体験する(等価交換)」ということですから、まず、気持ちよく生き返らせればいいわけです。本人に許されれば、罪とは言いません。
生き返らせることが不可能であれば、別な責任の負い方を考えなければなりません。

ここで負うべき責任は「人として負うべき自分の人生の充実」のほかに、「相手が生きるであろう人生の充実」「相手が関わっていた家族・友人・仕事や役割りとの関係の充実」ということになります。
悲しみに暮れる遺族に対するケア、損害賠償、社会に対する貢献を二人分、自分を成長させることなど、物理的・精神的な責任を全て負うわけです。被害者が多い場合は、それがかけ算されます。
 唯一、ネイティブアメリカンの青年が全ての責任を負った実例があるそうですが、普通の人には責任を負うとこが難しいと思いますので、「生き返らせる可能性がないなら、殺人は選択しないように」とお伝えしています。
そうなれば、「人の命を奪ってまですること」なのか、先に考えることができるようになりますね。助けを求めたり、もっと別なエレガントな解決方法を宇宙にオーダーして引き寄せ、実行すればいいのですから。
 倫理や道徳や感情論などは、ここでは関係ありません。あくまでも「宇宙のルール」に従った場合の責任の取り方です。(本来なら、誰もが倫理・道徳に反する言動はしないことが望ましいのですが、ここでは、なぜそうするべきかを根本原理から説明しています)

では、視点を変えて「死刑」についてはどうでしょう。
殺人をした本人と直接の被害者以外の人が判定するために、感情論に陥りやすいかもしれませんが、ここでも宇宙のルールで説明します。
直接の被害者とその家族(関係者)が、宇宙のルールを行使できない時のために、裁判という形態があると思います。基本は「命には、命をもって」の【等価交換】ということになります(なってしまいます)ね。
しかし、殺人者本人に「元通りにする」か「前よりもっとよくする」能力があれば、それを実行してもらえばいいわけです。殺人者が自分の人生をかけて、責任を負うならば、宇宙はそれも許すわけです。それを全員で見守ることが社会の責任です。
等価交換では、「被害者とまったく同じ痛みを感じる」という償いの方法もあるようです。技術が進化したら、将来そうなるかもしれません。できれば、そんな償い方でなく、事件そのものが減ってくれることを望みますが…
「犯罪は、きちんと罰する」
じつは「罰する」というよりも「きちんと責任を取らせる」ことが大事。
何らかの有効な形で償いをさせ、その結果を皆で見守ることができたら、成熟した社会への第一歩と言えるのでしょう。

しかし、今の刑法では、その責任の負い方が無理なようなので、「命には、命をもって」という選択肢しかないということになります。残念ですが…死刑の決断をするということは、ほかに責任を負う方法がない場合の、苦渋の選択といえます(そうなってしまっています)。
関係者が死刑執行によって背負う心苦しさが、「命の重さ」の責任を負っているということになると思います。もし、あまりにも辛い気持ちになるなら、神様(宇宙・高次元)にその運命の理由を聞くことができます。
理由なく罰することになると、宇宙に「私は理由なく罰する=理由なく裁かれます」がオーダーされて、自分に戻って来ますから、裁判員などの立場であれば、自分には責任が負えないということで、退席することも一つの責任でしょう。
逆に、犯罪を許してしまったり「相手の命(人権・人生)を奪った人がその責任を負わない」ことを許すのであれば、それは宇宙にオーダーされますから、犯罪を見て見ぬふりをした人が「責任を負わない人を許します(犯罪を許可します)」という引き寄せをしたことになるため、周囲に犯罪事件が増えます。

なので、理由もなく罰することは危険ですが、理由なく許すことも危険です。
ほかの犯罪への刑罰も、宇宙のルールの視点で考えれば、まだまだ整っていないということもわかると思います。
人権を侵害された人が受けた、精神的・身体的・社会的痛みと同等の立場に立たなければ、責任を負ったとは言えませんから、犯罪者は(魂が自由になれないので)満たされることがなく、まだまだ犯罪を続けることになってしまい、社会がそれを許したことになるので、犯罪がどんどん引き寄せられて来るわけです。

これは戦争にも当てはまりますね。(全てに当てはまっている)

時に、自分の命に価値を見出していない人が、相手の命を奪おうとします。一見すると、自分の身を守るためのようでも、自分の都合で誰かを殺せば「自分も都合が悪い時は殺されます」オーダーがなされるためです。
本気で自分の人生を大事にはしていない、ということのようです。
命の大切さを知っている人が、自分の責任において何かをするのは、許されているわけです。

とはいえ、殺人の責任については、じつはケースバイケースであったりします(自殺・事件・交通事故など・戦争・被害者の立場・加害者の立場、その他)。だから、これまでスピリチュアルな著名人も扱いにくく、誤解を避けるために詳しく解説されて来なかったと思います。

ちなみに、
スピリチュアルを勉強し始めた人が、本に「お互いの自由を認め合う」というメッセージを見て、「浮気されてしまったけど、結婚後も相手の恋愛の自由を許すべきでしょうか?」と相談されることがあります。

今回の「自由と責任」をご覧いただければ、おのずと判断がつくと思います。
自由の前に「結婚という契約をした相手への責任」というものが、果たされなければなりませんよね。それは、話し合って合意すれば、内容は自由です。責任を果たさせるまで「許さない」ことを選択する自由もありますし、浮気された側には「約束を果たさせる責任」もあるわけです。

心理学者ロロ・メイ著「自由と運命」の中にもありますが、
責任を負うと自由を獲得し、自由を獲得すると、運命を変えることができます。


さて、我々は、責任を果たして自由になることを望むのか。それとも責任から逃げたり、責任を他人に預け依存して、自由を失うことを望むのか。もちろん、どちらも許されています。


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