子どもの観察のメモ
- 2011/10/22
- 19:13
私は「研究者タイプ」なので、法則性を見つけようとしたり、よく観察してたりします。
子育てに役立つかどうか解りませんが、甥っ子の成長を見ていて感動したことをメモしておこうと思います。
姉の息子(甥っ子)が生まれた時、私は近くに住んでいたので、よく面倒を見に行っていました。といっても、ベビーシッターができるほどではないので、姉が家事に専念できるように赤ちゃんをあやしたり、抱っこしたり、一緒に遊んだり…という感じですが。
私はどちらかというと、構いたがりではなく、呼ばれたら行く方なので、赤ちゃんが一人で何かをしている時は、あえて声をかけずに観察していました。
その時、気づいたことがいろいろあります。
まず、お母さんというのは、子ども(赤ちゃん)の面白い変化を楽しめるほど余裕がないので、気の毒だなということ。これは人間の意識を変えたり、政治を変える必要があるので、今どうにか出来なくても仕方ありませんが…
赤ちゃんや幼児は、親しか頼れる人はいないので、かわいい時もあれば、一番イヤな顔を見せる時もありますね。それが信頼の証ということでしょうか。
赤ちゃんは、大人の知識や経験を越えた存在だなぁと思わされることが、しばしば。
でも、一人の人間としてみると、至極当然な行動をしていました。
・甥っ子がまだ2才になる前くらい。アイスクリームが好きだと父親が言っていた。ファミレスでアイスクリームを注文して、食べている姿をなんの気なしに見てたら、みるみるうちに口の周りにクリームが付いていく。自分の口に入る量を計って、スプーンに盛るということができないんだな…と思って、気づいた。
子どもは、自分が食べられる量にフォーカスしているのではなく、食べたい量にフォーカスしているんだ、ということ。
(子どもっぽい(依存的な)大人にも、そういう人がいるよな…と解った)
・2才半くらいの時、おもちゃを動かしながら、キッチンで走り回っていて、おもちゃが冷蔵庫にぶつかったので、ゴンという音がしたら、
「痛~い」と言って、冷蔵庫をなでていた。
--これは、おもちゃがぶつかった冷蔵庫が痛がっているだろうという認識で、なでてあげていたのだった。
(何か…心の優しい子だなと思った。両親から愛情を受けて育っているんだなと理解した)
・甥っ子がウチに遊びに来た時、こたつに寝ている人の所で、床にヘアブラシが落ちているのを見つけた。をれを拾って、寝ている人の頭に近づけたので、叩くのかと思って一瞬注目したら、寝ている人の髪をそーっとブラシでなでて、とかしていた。
(ヘアブラシが何に使うものなのか、知っていたので驚いた。使ってみたかったんだろうな、と思う)
・3才前の頃、祖父母の家のリビングで、みんなで甥っ子をまぜ談笑していて、そろそろ夕飯の時間だということで、支度をしようといっせいに立ち上がった。母と姉はキッチンに、父も自分の用事をすませに部屋から離れたので、甥っ子をみるのは私の役目になっていた。
すると、彼が、私の隣で腕をとって、横になれと促している。まだ言葉がハッキリしていないので、仕草だけで判断するしかない。最初、何を言ってるのか?遊びたいのかなと思ったら、とにかく身体をまっすぐにして横になれということらしい。
それで、仰向けに横たわると、今度は私の上着のすそをまくるような仕草をする。「え?脱げって言うの」と思って躊躇していたら、そうではないらしい。裾をまくって、すぐに元に戻す仕草をしていた。
その時、私に何か話しかけている。その言葉は聞き取れないけれど、抑揚と雰囲気に思い当たるフシがあった。
姉が、オムツを替える時にむずがるというので、一緒にいるときは育児書に書いてあった知識で、私が「きれいになるね~。嬉しいね~」と声をかけてあやしていたのだ。
赤ちゃんは、生理的に心地よいか悪いかを判断できるが、文明文化的に気持ち良い悪いを区別できるように、と確か育児書にかいてあったので、歯を磨く時とかおむつを替える時には、それが「気持ちよいことに繋がるんだ」と聞かせるようにしていたのだった。
その時の私の口調そっくりに、甥っ子が話しかけて来ていたのだ。
--つまり、甥っ子は、みんなが仕事をするために立ち上がったので、自分も何かしなければと思ったらしい。そばにいたのが私だったので、日頃私がしている気持ちの良いことを、私にしてくれようとしたのだ。
(とにかく、感動した。甥っ子の気持ちも嬉しかったのと、彼に通じていたこと、それを理解できた自分が嬉しかった)
・みんなで食事に出かけた時、甥っ子が退屈しないように、姉は独楽(こま)を持っていて、よく回しては遊ばせていた。テーブルのコップには水が入っていて、子どもが無意識に遊び回ると、ひっくり返す危険性があったが、たいていは子どもが触れない場所に離して置いておくのが普通だ。その日は、テーブルが狭かったせいで、つい大きく動いた甥っ子が、コップを倒してしまい水がこぼれた。
姉が、慌てておしぼりで拭きながら、甥っ子を叱る。「ごめんなさい、でしょ」と言われるが、甥っ子は黙ってしまった。なにか良くないことが起こったことは解るのだが、納得いかないようだった。
それで、私が「ひろ君は、コップの水をこぼそうと思ったわけじゃないんだよね。でもこぼれちゃったから、きれいにしようね。水がこぼれちゃったのは、良くないことだから、ごめんねしようね」と言ったら、頷いた。
悪気がなくてしたことなのか、悪いと思ってしたことなのか、幼児にも区別がつくんだと解った。
(これは、大人でも感じること。悪気がなくて失礼なことをして叱られても、謝れない人いるよなと思う。子どものうちから、理由を伝えて責任を取らせることが大事)
・3才の頃、子どものしつけ場面というのは、よく店や食堂で見ることが多い。やはり公共の場で問われるからだと思う。
ファミレスで、何かの約束か、悪いことをした罰という理由で、「アイスクリーム禁止」ということになった時。「ひろ君は、○○をしなかったんだから、今日はアイスはダメだよ。約束したでしょ」と姉。甥っ子は、最初とても不満そうにしていたが、大人が頑として受け付けずにいたら、じーっと自分の欲望と戦って耐えていた。
そして、「わかった」と引き下がったのだった。たいしたものだ。大人でも我慢しきれるかどうか…いや、大人だったらいろいろ自分に言い訳して、手に入れようとするだろう。しかし、彼は3才で約束を守ったのだった。
すると、母(甥っ子からするとお婆ちゃん)が、かわいそうに思って、「反省しているようだから、今日だけは特別よ」と言いそうになったので、それを制することになった。
ここで、大人が約束を守らなかったら、ここで大人が自分の欲や情に負けたら、彼はいったい何をお手本にして「忍耐」を学ぶというのだろうか。
(約束を守れないのは子どもじゃなくて、大人の方だった)
子どものおかげで、大人は自分の信念を試され、大人は姿勢を正すことができる--と思った。
これは、自分の子どもじゃないから、第三者的な位置から見ているから観察できたことで、日々育児に追われているお母さんの立場だったら、気がつかなかったのではないかと思います。
-また何か思い出したら、追加します。
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子育てに役立つかどうか解りませんが、甥っ子の成長を見ていて感動したことをメモしておこうと思います。
姉の息子(甥っ子)が生まれた時、私は近くに住んでいたので、よく面倒を見に行っていました。といっても、ベビーシッターができるほどではないので、姉が家事に専念できるように赤ちゃんをあやしたり、抱っこしたり、一緒に遊んだり…という感じですが。
私はどちらかというと、構いたがりではなく、呼ばれたら行く方なので、赤ちゃんが一人で何かをしている時は、あえて声をかけずに観察していました。
その時、気づいたことがいろいろあります。
まず、お母さんというのは、子ども(赤ちゃん)の面白い変化を楽しめるほど余裕がないので、気の毒だなということ。これは人間の意識を変えたり、政治を変える必要があるので、今どうにか出来なくても仕方ありませんが…
赤ちゃんや幼児は、親しか頼れる人はいないので、かわいい時もあれば、一番イヤな顔を見せる時もありますね。それが信頼の証ということでしょうか。
赤ちゃんは、大人の知識や経験を越えた存在だなぁと思わされることが、しばしば。
でも、一人の人間としてみると、至極当然な行動をしていました。
・甥っ子がまだ2才になる前くらい。アイスクリームが好きだと父親が言っていた。ファミレスでアイスクリームを注文して、食べている姿をなんの気なしに見てたら、みるみるうちに口の周りにクリームが付いていく。自分の口に入る量を計って、スプーンに盛るということができないんだな…と思って、気づいた。
子どもは、自分が食べられる量にフォーカスしているのではなく、食べたい量にフォーカスしているんだ、ということ。
(子どもっぽい(依存的な)大人にも、そういう人がいるよな…と解った)
・2才半くらいの時、おもちゃを動かしながら、キッチンで走り回っていて、おもちゃが冷蔵庫にぶつかったので、ゴンという音がしたら、
「痛~い」と言って、冷蔵庫をなでていた。
--これは、おもちゃがぶつかった冷蔵庫が痛がっているだろうという認識で、なでてあげていたのだった。
(何か…心の優しい子だなと思った。両親から愛情を受けて育っているんだなと理解した)
・甥っ子がウチに遊びに来た時、こたつに寝ている人の所で、床にヘアブラシが落ちているのを見つけた。をれを拾って、寝ている人の頭に近づけたので、叩くのかと思って一瞬注目したら、寝ている人の髪をそーっとブラシでなでて、とかしていた。
(ヘアブラシが何に使うものなのか、知っていたので驚いた。使ってみたかったんだろうな、と思う)
・3才前の頃、祖父母の家のリビングで、みんなで甥っ子をまぜ談笑していて、そろそろ夕飯の時間だということで、支度をしようといっせいに立ち上がった。母と姉はキッチンに、父も自分の用事をすませに部屋から離れたので、甥っ子をみるのは私の役目になっていた。
すると、彼が、私の隣で腕をとって、横になれと促している。まだ言葉がハッキリしていないので、仕草だけで判断するしかない。最初、何を言ってるのか?遊びたいのかなと思ったら、とにかく身体をまっすぐにして横になれということらしい。
それで、仰向けに横たわると、今度は私の上着のすそをまくるような仕草をする。「え?脱げって言うの」と思って躊躇していたら、そうではないらしい。裾をまくって、すぐに元に戻す仕草をしていた。
その時、私に何か話しかけている。その言葉は聞き取れないけれど、抑揚と雰囲気に思い当たるフシがあった。
姉が、オムツを替える時にむずがるというので、一緒にいるときは育児書に書いてあった知識で、私が「きれいになるね~。嬉しいね~」と声をかけてあやしていたのだ。
赤ちゃんは、生理的に心地よいか悪いかを判断できるが、文明文化的に気持ち良い悪いを区別できるように、と確か育児書にかいてあったので、歯を磨く時とかおむつを替える時には、それが「気持ちよいことに繋がるんだ」と聞かせるようにしていたのだった。
その時の私の口調そっくりに、甥っ子が話しかけて来ていたのだ。
--つまり、甥っ子は、みんなが仕事をするために立ち上がったので、自分も何かしなければと思ったらしい。そばにいたのが私だったので、日頃私がしている気持ちの良いことを、私にしてくれようとしたのだ。
(とにかく、感動した。甥っ子の気持ちも嬉しかったのと、彼に通じていたこと、それを理解できた自分が嬉しかった)
・みんなで食事に出かけた時、甥っ子が退屈しないように、姉は独楽(こま)を持っていて、よく回しては遊ばせていた。テーブルのコップには水が入っていて、子どもが無意識に遊び回ると、ひっくり返す危険性があったが、たいていは子どもが触れない場所に離して置いておくのが普通だ。その日は、テーブルが狭かったせいで、つい大きく動いた甥っ子が、コップを倒してしまい水がこぼれた。
姉が、慌てておしぼりで拭きながら、甥っ子を叱る。「ごめんなさい、でしょ」と言われるが、甥っ子は黙ってしまった。なにか良くないことが起こったことは解るのだが、納得いかないようだった。
それで、私が「ひろ君は、コップの水をこぼそうと思ったわけじゃないんだよね。でもこぼれちゃったから、きれいにしようね。水がこぼれちゃったのは、良くないことだから、ごめんねしようね」と言ったら、頷いた。
悪気がなくてしたことなのか、悪いと思ってしたことなのか、幼児にも区別がつくんだと解った。
(これは、大人でも感じること。悪気がなくて失礼なことをして叱られても、謝れない人いるよなと思う。子どものうちから、理由を伝えて責任を取らせることが大事)
・3才の頃、子どものしつけ場面というのは、よく店や食堂で見ることが多い。やはり公共の場で問われるからだと思う。
ファミレスで、何かの約束か、悪いことをした罰という理由で、「アイスクリーム禁止」ということになった時。「ひろ君は、○○をしなかったんだから、今日はアイスはダメだよ。約束したでしょ」と姉。甥っ子は、最初とても不満そうにしていたが、大人が頑として受け付けずにいたら、じーっと自分の欲望と戦って耐えていた。
そして、「わかった」と引き下がったのだった。たいしたものだ。大人でも我慢しきれるかどうか…いや、大人だったらいろいろ自分に言い訳して、手に入れようとするだろう。しかし、彼は3才で約束を守ったのだった。
すると、母(甥っ子からするとお婆ちゃん)が、かわいそうに思って、「反省しているようだから、今日だけは特別よ」と言いそうになったので、それを制することになった。
ここで、大人が約束を守らなかったら、ここで大人が自分の欲や情に負けたら、彼はいったい何をお手本にして「忍耐」を学ぶというのだろうか。
(約束を守れないのは子どもじゃなくて、大人の方だった)
子どものおかげで、大人は自分の信念を試され、大人は姿勢を正すことができる--と思った。
これは、自分の子どもじゃないから、第三者的な位置から見ているから観察できたことで、日々育児に追われているお母さんの立場だったら、気がつかなかったのではないかと思います。
-また何か思い出したら、追加します。
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