万人に好かれるのは無理か?
- 2012/02/13
- 23:27
よく、自分らしさを見失って、苦しんでいる人に、
「万人に好かれようったってムリなんです」とか、
時には「人間の半分は、敵になるものなんだ」とか、アドバイスしているメッセージを見かけるが--
それを聞いて、
「ああ、私は自分らしさを見失っていた。
皆から好かれることが良いことだと思って、自分の感じたことや考えたことを表現せずに、萎縮してしまった。
誰にでも好かれようと思って、他人の価値観にふりまわされるのではなく、自分らしさや自分の能力を発揮して、喜んでくれる人々のために貢献しよう」
となれば、言う事なし。
私の守護仏には文殊菩薩もいるので、「言葉の定義」ようなものにうるさいらしく、メッセージが。
「万人に好かれるのは無理だ」というのは、
・人にはいろいろ好みがあるので、それにいちいち合わせるのは、ふつう無理だから、疲れるから、大変だからやめなさい、という意味ではないらしい。
または、
・他人の好みにいちいち合わせてあげる必要は無い、という意味でもない。
または、以上を含む、もう一つの意味がある--というべきか。
誰かのために何かをしてあげて喜ばれる(相手に頼まれてサポートする)のは良い事だから、いつでもできることなら実行するのが「愛(配慮)」なのは大前提として、
・あなたが素敵な愛の行動をとった時に、素直に、無邪気に、他意なく、受け取れる人は、愛のやりとりが出来る。
・でも、素直に受け取れない人もいる。妬む人もいる。
・妬む人は、あなたから受け取りたくないし(借りをつくりたくない)、あなたの活躍自体がうらやましくて悔しいので、実は善いことだと解っても、「絶対認めない」という抵抗をしめすことで、関心を寄せている。(エネルギー・バンパイアでもある)
・妬むタイプの人は、自分の価値観や生き方に自信がないので(潜在意識や高次元や中心と繋がっていない、とも言える)、誰か・何か素晴らしいものを否定することで、自分の存在を示そうとする。彼らは、金メダリストを否定することによって、民衆からの注目を浴び、まるであたかも自分が金メダリストに並んだつもりになれるのだ。
これは、通り魔殺人やアテンション犯罪と同じ根底を持っている。
それでも、なんだかんだで自分は相手の役に立っていると言える。
・あとは、生活圏や波動がまったく違うために、無関心な人からは、当然ながら賞讃されることはない。ただ、感情的に否定されることもない。
そんな人間の心理や、世界観を前提にして、
「万人から同じ反応を得ようと思う必要はない」(むしろそれは傲慢かもしれない)というなら、定義にかなっていると言える。
結果として、
「人に好かれたい」という努力も時には成長の糧となるし、
でも、まずは自分らしい感性や能力を発揮して、表現することを楽しみ、愛するものに貢献することができれば、他人からの目は気にならないかもしれない。愛するものへの配慮(愛)として、寄り添おうとするかもしれない。
---ということだそうだ。
~*~*~ 愛と感謝と祝福をこめて ~*~*~
お読みいただきありがとうございます。掲載記事は、さらに詳しい内容を書籍・CD・DVD等で頒布する予定です♪
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皆から好かれることが良いことだと思って、自分の感じたことや考えたことを表現せずに、萎縮してしまった。
誰にでも好かれようと思って、他人の価値観にふりまわされるのではなく、自分らしさや自分の能力を発揮して、喜んでくれる人々のために貢献しよう」
となれば、言う事なし。
私の守護仏には文殊菩薩もいるので、「言葉の定義」ようなものにうるさいらしく、メッセージが。
「万人に好かれるのは無理だ」というのは、
・人にはいろいろ好みがあるので、それにいちいち合わせるのは、ふつう無理だから、疲れるから、大変だからやめなさい、という意味ではないらしい。
または、
・他人の好みにいちいち合わせてあげる必要は無い、という意味でもない。
または、以上を含む、もう一つの意味がある--というべきか。
誰かのために何かをしてあげて喜ばれる(相手に頼まれてサポートする)のは良い事だから、いつでもできることなら実行するのが「愛(配慮)」なのは大前提として、
・あなたが素敵な愛の行動をとった時に、素直に、無邪気に、他意なく、受け取れる人は、愛のやりとりが出来る。
・でも、素直に受け取れない人もいる。妬む人もいる。
・妬む人は、あなたから受け取りたくないし(借りをつくりたくない)、あなたの活躍自体がうらやましくて悔しいので、実は善いことだと解っても、「絶対認めない」という抵抗をしめすことで、関心を寄せている。(エネルギー・バンパイアでもある)
・妬むタイプの人は、自分の価値観や生き方に自信がないので(潜在意識や高次元や中心と繋がっていない、とも言える)、誰か・何か素晴らしいものを否定することで、自分の存在を示そうとする。彼らは、金メダリストを否定することによって、民衆からの注目を浴び、まるであたかも自分が金メダリストに並んだつもりになれるのだ。
これは、通り魔殺人やアテンション犯罪と同じ根底を持っている。
それでも、なんだかんだで自分は相手の役に立っていると言える。
・あとは、生活圏や波動がまったく違うために、無関心な人からは、当然ながら賞讃されることはない。ただ、感情的に否定されることもない。
そんな人間の心理や、世界観を前提にして、
「万人から同じ反応を得ようと思う必要はない」(むしろそれは傲慢かもしれない)というなら、定義にかなっていると言える。
結果として、
「人に好かれたい」という努力も時には成長の糧となるし、
でも、まずは自分らしい感性や能力を発揮して、表現することを楽しみ、愛するものに貢献することができれば、他人からの目は気にならないかもしれない。愛するものへの配慮(愛)として、寄り添おうとするかもしれない。
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